
晏嬰狐裘(あんえいこきゅう)は、春秋時代の斉に仕えた名臣・晏嬰(あんえい)の質素な生活を象徴する故事成語です。
斉の国政を支えた晏嬰は、長年にわたり宰相として重責を担いましたが、その生活ぶりは華美とは無縁でした。本語は『礼記』檀弓下に記された逸話に基づき、質素倹約の徳を今に伝えるものです。
権力の座にありながらも贅沢を戒めた晏嬰の姿勢は、古代中国における為政者の理想像の一つとして語り継がれています。
晏嬰狐裘の意味とは|歴史背景から読み解く語義
晏嬰狐裘(あんえいこきゅう)とは、非常に質素で倹約な生活を送ること。また、上に立つ者が贅沢を戒め、自らを律する態度のたとえです。
「狐裘(こきゅう)」とはキツネのわきの下の白い毛皮(狐白)で作られた、古代中国で最高級とされた貴重な防寒用の皮衣(かわごろも)を指します。古代中国において毛皮の衣は防寒具であると同時に身分や富の象徴でもありました。
そのため、宰相という立場にありながら同じ狐裘を長く着続けた晏嬰の姿は、倹約と清廉を象徴するものとして受け止められています。
本語は単なる服装の話ではなく、為政者が奢侈を慎み、身を正す姿勢を示す故事として理解されます。
晏嬰狐裘の使い方と例文|現代での用法と注意点
晏嬰狐裘は、地位や財力がありながらもあえて質素を貫く人物を評する際に用いられます。
現代日本語では日常会話よりも文章語として使われることが多く、特に指導者や経営者の姿勢を論じる場面で引用されます。単に倹約しているという意味ではなく、高位にありながら節度を守る点が重要です。
- 彼は大企業の社長でありながら質素な生活を続け、まさに晏嬰狐裘というべき人物です。
- 為政者には晏嬰狐裘の精神が求められます。
- その清廉な姿勢は、現代に生きる晏嬰狐裘の実践といえます。
晏嬰狐裘の語源・由来|『礼記』檀弓下に見る人物像と歴史的背景

出典は『礼記』檀弓下です。
原文:
晏子一狐裘三十年 遣車馬 衣敝縕袍
其在朝也 其容儉 其色恭有若曰 晏子知禮乎
曾子曰 國君不以禮節 則民慢
晏子儉而有禮書き下し文:
晏子は一狐裘三十年なり 車馬を遣り 衣は敝れたる縕袍なり
其の朝に在るや 其の容は儉に 其の色は恭なり有若曰く 晏子は礼を知るや
曾子曰く 国君 礼を以て節せずんば 則ち民 慢なり
晏子は儉にして礼あり訳文:
晏子は一着の狐裘を三十年も着続け 車馬を用いず
衣は擦り切れた縕袍であった
朝廷にあっては その姿はつつましく 表情はうやうやしかった有若が「晏子は礼を知らぬのではないか」と言うと
曾子は「国君が礼をもって自らを節しなければ 民は必ず慢心する
晏子は倹約でありながら しかも礼を備えているのだ」と答えた
この章では、晏嬰の極端な倹約ぶりに対して、孔子の弟子である有若が疑問を呈し、それに対して同じく門弟の曾子が明確に擁護するという議論が展開されています。
有若の批判は、「宰相という高位にありながら粗末な身なりをすることは、礼をわきまえていないのではないか」という、当時としては自然な疑念でした。礼とは身分秩序を可視化する規範でもあり、衣服はその重要な要素であったからです。
しかし曾子の発言は、単なる道徳論にとどまるものではありません。当時の社会状況を踏まえた、きわめて現実的な為政者論でもありました。
春秋時代後期は、諸侯や卿大夫の間に奢侈が広がり、身分や権力を誇示する風潮が強まっていた時代です。こうした中で、為政者自らが贅沢を慎み、倹約の姿勢を示すことは、乱れがちな世を戒め、民の慢心を抑えるための有効な統治手段でもありました。
『史記』晏子列伝には、晏嬰の政治姿勢について次のように記されています。
原文:
晏子為齊相 以節儉力行於國
上無驕侈之失 下無僭越之心
これは、晏嬰が倹約をもって国を治め、上には驕りや奢りを生じさせず、下には分を越える心を起こさせなかったことを示す記述です。晏嬰の質素な振る舞いは、個人的な美徳ではなく、社会全体の均衡を保つための政治的判断でもあったのです。
一方で儒家思想においては、常に倹約だけが善とされるわけではありません。世が過度に質素へ傾いたときには、礼法にかなった振る舞いを示し、人々を正しく導くことも為政者の役割とされました。重要なのは、時代や民情に応じて、礼と倹約を適切に使い分けることにあります。
曾子が晏嬰を「儉にして礼あり」と評価したのは、晏嬰が時代の奢侈を見極めたうえで、あえて倹約を選び、それを礼の実践として体現していたからにほかなりません。この点において、晏嬰は単なる清貧の人物ではなく、時代を読む政治的知性を備えた宰相であったといえるでしょう。
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晏嬰狐裘の類義語・対義語|意味の広がりと対照概念
類義語
いずれも「質素・倹約・清廉」を軸としますが、重点には違いがあります。
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 一狐裘三十年(いっこきゅうさんじゅうねん) | 一着の狐の皮衣を三十年着続けたという、晏嬰のきわめて質素な生活を表す語。晏嬰狐裘の直接的な出典表現。 |
| 倹約質素(けんやくしっそ) | 無駄を省き、ぜいたくを避けたつつましい生活態度。 |
| 清廉潔白(せいれんけっぱく) | 心が清く、私欲がなく、不正を行わないこと。特に為政者や官人の徳を評価する語。 |
対義語
晏嬰狐裘が戒める「奢侈・驕慢・放縦」を象徴する語です。
| 意味 | |
|---|---|
| 驕奢淫佚(きょうしゃいんいつ) | おごり高ぶり、ぜいたくと享楽に溺れた乱れた生活を送ること。 |
| 贅沢三昧(ぜいたくざんまい) | 欲望のままに、思う存分ぜいたくをすること。 |
| 肉食妻妾(にくしょくさいしょう) | 身分ある者が贅沢な生活に溺れ、政治や民を顧みないことのたとえ。 |
晏嬰狐裘の英語表記|歴史背景を踏まえた訳語
| 英語表記 | 意味 |
|---|---|
| living frugally despite high position | 高い地位にありながら質素に暮らすこと。 |
晏嬰狐裘に見る歴史的教訓と現代への示唆
晏嬰狐裘は、権力や地位が必ずしも贅沢を意味しないことを示す故事です。晏嬰は長年宰相として斉を支えながら、自らの生活を慎み、礼を重んじる姿勢を貫きました。
為政者や指導者が自らを律し、質素を守ることは、周囲の信頼を得る基盤となります。本語は、外面的な華やかさよりも内面的な徳を重んじる姿勢の重要性を、古典の言葉を通して明確に伝えています。
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