
灼熱の太陽が照りつけるなか、兵士たちは喉の渇きに苦しんでいた──そんな窮地で巧みに兵を鼓舞した曹操の知略から生まれたのが、今回ご紹介する四字熟語「望梅止渇(ぼうばいしかつ)」です。
三国志好きにはたまらない一幕を描いたこの言葉は、現代でも意外な場面で使われています。
望梅止渇の意味
「望梅止渇(ぼうばいしかつ)」とは、「梅を思い浮かべることで喉の渇きを紛らわせる」という意味の四字熟語です。転じて、「ある目的を達成するために、想像力や心理的工夫で困難を和らげること」を指します。
また、手段や目標がまだ手に入らない状況であっても、希望や想像によって一時的に欲求を満たしたり、心を落ち着かせたりする状況にも使われます。
望梅止渇の使い方
「望梅止渇」は、実際に欲しいものや目的が手に入らないときに、それを想像することで気持ちを落ち着かせる場面で使います。日常では、旅行や食事、目標の達成など、すぐに手が届かない願望を一時的に和らげたいときに使われることが多いです。
以下のような例文で用いられます。
- 今年の夏休みは無理そうだから、旅行雑誌を読んで望梅止渇している。
- 目標の達成には時間がかかるが、成功した自分を想像して望梅止渇しよう。
- 甘いものが食べられないときは、美味しそうな写真を見るだけでも望梅止渇になる。
望梅止渇の語源と由来|曹操の機転が生んだ『世説新語』の故事
「望梅止渇」は、三国志の英雄・曹操が遠征中に見せた、機転と知略の一場面から生まれた成語です。主な出典は、中国南朝宋代の志怪小説『世説新語』に記された以下の逸話です。
原文(出典:『世説新語』巻下・假譎篇):
魏武行役 軍人渇
乃曰:「前有梅林 饒子 甘酸 可以解渇」
士卒聞之 口皆出水書き下し文:
魏武(曹操)、行役して、軍人渇す。
乃ち曰く、「前に梅林有り。子饒くして、甘酸にして、以て渇きを解くべし。」と。
士卒これを聞きて、口みな水を出だす。訳文:
魏の曹操が遠征の途中、兵士たちは喉の渇きに苦しんでいた。
そこで曹操は、「この先に梅林がある。梅の実はたくさんあり、甘酸っぱくて渇きを癒せるぞ」と声をかけた。
これを聞いた兵士たちは梅を思い浮かべ、唾液が出て渇きをしのいだ。
曹操は梅林が実在するかのように語り、兵士たちに酸味を想像させて唾液を促しました。想像力を活用した巧みな心理術によって、渇きと士気低下という二重の危機を乗り越えたのです。
この逸話は、後に『三国志演義』にも描かれ、物語の中でも印象的なエピソードとして多くの読者に知られるようになりました。
曹操と曹植にまつわる四字熟語を深掘りしよう
「望梅止渇」の主人公・曹操は、智謀に優れた軍略家であり詩人としても知られています。また、その息子・曹植は、後世に語り継がれるほどの文才を持った天才詩人でした。
彼らに関連する四字熟語は、三国志の奥深い魅力を知るうえで絶好の入り口です。ここでは、彼らを中心とした物語や逸話に基づく成語をご紹介します。
黄絹幼婦(こうけんようふ)|曹操の謎かけを俊才・楊脩が見事に解き明かした故事- 老驥伏櫪(ろうきふくれき)|老いてなお志を失わない曹操の気概が表れた詩句
- 清聖濁賢(せいせいだくけん):禁酒令に背いた徐邈に対し、曹操が寛容さを見せた際の評価語。
浮雲翳日(ふうんえいじつ)|孔融の忠言が曹操によって退けられ、賢が用いられぬ時代を憂いた言葉- 子建八斗(しけんはっと)|曹植の文才を「八斗の才」と称えた逸話
- 七歩之才(しちほのさい)|七歩の間に詩を完成させた曹植の驚異的な即興力
煮豆燃箕(しゃとうねんき)|兄弟の争いを詠んだ曹植の切なる詩の一節- 七歩八叉(しちほはっさ)|曹植の即興詩才を象徴する伝説的な四字熟語
- 鶴立企佇(かくりつきちょ)|曹植が弟・曹彪に宛てた手紙に見られる、再会を待ち望む心情を表した比喩。
明眸皓歯(めいぼうこうし):曹植・甄氏をめぐる詩情豊かな描写から生まれた、美しさと哀切を讃える語
曹操の智謀、曹植の詩才──二人が残した数々の逸話を紐解くことで、三国志の物語が一層深みを増します。興味を持った方は、ぜひそれぞれの記事を覗いてみてください。
望梅止渇の類義語・対義語(参考)
「望梅止渇」は古典中国の故事に基づく成語であるため、日本語における明確な類義語・対義語は存在しませんが、意味や用法が部分的に類似する表現を以下に参考として紹介します。
類義語(近い意味の熟語)
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 画餅充飢(がべいじゅうき) | 絵に描いた餅で空腹を満たす意。実体のないものに頼ることのたとえ。 |
| 阿Q精神(あきゅうせいしん) | 現実に敗北しても心の中で自らを勝者と思い込む精神的勝利法。 |
| 精神勝利法(せいしんしょうりほう) | 想像や気持ちの持ちようで困難や劣勢を乗り越えようとする考え方。 |
対義語(反対の意味をもつ熟語)
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 即断即決(そくだんそっけつ) | 物事をすぐに判断し、素早く決断・行動すること。 |
| 現実主義(げんじつしゅぎ) | 空想ではなく、現実に即した判断・行動を重視する考え方。 |
※上記はいずれも意味の一部において類似性がある参考例であり、直接的な対応語ではありません。
望梅止渇の英語表記と意味
| 英語表記 | 意味 |
|---|---|
| Imagining plums to quench thirst | 想像力で困難を一時的に和らげる |
その他三国志の四字熟語
三国志を彩る名場面から生まれた四字熟語は、他にもたくさん存在します。興味のある方には以下の記事もおすすめです。
桃園結義(とうえんけつぎ):劉備・関羽・張飛の義兄弟の誓い- 水魚之交(すいぎょのまじわり):劉備と諸葛亮の固い絆
- 三顧之礼(さんこのれい):諸葛亮を三度訪ねた劉備の誠意
- 飛鷹走狗(ひようそうく):好んで狩猟を楽しむさま。袁術の放縦さと対比される、権力者の奢侈の象徴
浮石沈木(ふせきちんぼく):孫礼の賢臣としての登用を語る中で、浮かぶべき者が沈み、沈むべき者が浮かぶ人材評価の逆転を嘆いた語句
望梅止渇のまとめ
「望梅止渇」は、三国志に登場する曹操の機転から生まれた言葉であり、現代でも心理的なテクニックとして用いられています。
目標を思い描き、それに向かって進む過程でくじけそうになる時、私たちもまた「望梅止渇」の精神を持ち合わせているのかもしれません。
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