清聖濁賢|時代に応じて処世を変えた魏の賢臣・徐邈の哲学

おもしろ四字熟語
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乱世においては、必ずしも「正しさ」が正しく通るわけではありません。時代の空気を読み、志を失わずに行動することもまた賢明な選択。

今回ご紹介する「清聖濁賢(せいせいだくけん)」は、魏の賢臣・徐邈(じょばく)が体現したそのような生き方を表す四字熟語です。

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清聖濁賢の意味とは?

清聖濁賢(せいせいだくけん)の本来の意味としては、「清者は聖人、濁者は賢人」という儒教的思想に基づき、時代や状況に応じて理想と現実を使い分ける賢人の処し方を示す言葉です。『三国志』魏書徐邈伝に由来し、徐邈の柔軟な処世術を称賛する文脈で登場します。

しかし、現代においては主に「酒の異称」として使われており、

  • 清酒を「聖」、
  • 濁酒を「賢」にたとえて、

酒そのものを風雅に表す美称としての意味合いが強くなっています。

つまり「清聖濁賢」は、本来は処世哲学を語る熟語でありつつ、現在では酒の名称としての用例が一般的です。両者の意味を併せて理解することで、この言葉の奥行きが見えてきます。

清聖濁賢の使い方と例文

「清聖濁賢」は、理想と現実の狭間で賢明な選択をする人物に対して使われます。また、現代では風雅に酒を称える場面でも登場します。

  • 政局が混乱する中でも彼は清聖濁賢の精神で、民を守る道を選んだ。
  • 君子たる者、ただ清廉であるばかりでなく、清聖濁賢の処し方も心得ねばならぬ。
  • 酒席でふと出された銘酒の名は、清聖濁賢と記された陶器にあった。

清聖濁賢の語源・由来|徐邈と曹操のやり取りに由来

「清聖濁賢」の出典は『三国志』魏書徐邈伝にあります。この語が生まれた背景には、曹操が施行した「禁酒令」と、それを破った徐邈の行動がありました。

ある時、曹操は軍律の一環として酒を禁じましたが、徐邈はそれを破って酒を飲みました。役人がこれを奏上すると、処罰が下るかに思われましたが、曹操は徐邈の行動の背景や人柄を汲み取り、処罰どころか賛辞をもってこれに応じたのです。

原文:
太祖禁酒 邈飲酒 有司奏邈
太祖曰:「昔人有言 清者為聖 濁者為賢 今之徐邈 可謂濁而賢矣」

書き下し文:
太祖、酒を禁ず。邈、酒を飲む。有司、邈を奏す。
太祖曰く、「昔人、言えらく、清き者は聖と為し、濁れる者は賢と為す。今の徐邈、濁りて賢と謂うべし」と。

訳文:
曹操は禁酒を命じていたが、徐邈はあえて酒を嗜んだ。それを役人が告げると、
曹操は「昔の人は言った、清らかな者は聖人、濁った者は賢人となる。今の徐邈はまさに濁って賢と言うべきである」と語った。

この一件は徐邈の人柄をよく表しています。彼は制度に反した行動を取ったにもかかわらず、その背景には奢侈や放埓ではなく、風流と自律がありました。

曹操は法の字面ではなく人物の本質を見極め、この言葉をもって彼を讃えました。こうして「清聖濁賢」は、理想と現実のバランスを象徴する四字熟語として後世に伝えられたのです。

徐邈の人柄と晩年|清聖濁賢の体現者としての生涯

徐邈(じょばく)は若くして学問と礼法に秀で、品行方正でありながらも、柔軟さと人間味を併せ持つ賢臣でした。礼儀を尊び、無駄を嫌う質素な生活を貫いたことでも知られます。

とりわけ注目すべきは、彼の死後の出来事です。『三国志』によれば、徐邈の死後、彼の家にはほとんど財産が残されていませんでした。これを知った魏の朝廷は、その清廉な暮らしぶりに深く感銘を受け、穀物や銭を遺族に支給するという特例の処置を行いました。

また、彼は在官中も公私の区別が明確で、私利私欲には一切動じず、交際も節度を持って臨んだ人物とされています。混乱の世にあって、節義を保ちつつも融通を利かせたその生き方は、現代にも通じる処世の手本と言えるでしょう。

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清聖濁賢の類義語・対義語

酒の異称としての意味における類義語

語句 意味
麦曲之英(ばくきょくのえい) 酒を賢者が嗜む際の美称。道を忘れぬ中庸の美をたたえる言葉
百薬之長(ひゃくやくのちょう) 酒の異称で、百薬に勝る効果があるとされることから
米泉之精(べいせんのせい) 酒を米の精華と称えた美称。人格者が嗜むものとしても用いられる
忘憂之物(ぼうゆうのもの) 憂いを忘れさせるもの、すなわち酒をさす表現

処世哲学としての意味における対義語

語句 意味
清廉潔白(せいれんけっぱく) 一点の私心もなく清く正しい様
杓子定規(しゃくしじょうぎ) 何事も型どおりにしか考えず、融通が利かない態度

清聖濁賢の英語表記と意味

英語表記 意味
Purity is saintly, tolerance is wise 清廉は聖人の資質であり、濁りを受け入れる柔軟さは賢人の証。
Saints are pure, sages endure impurity 聖人は清く、賢者は世俗にまみれても信念を保つ。

理想と現実を知る者の哲学──「清聖濁賢」に学ぶ処世の知恵

「清聖濁賢」は単なる処世術ではなく、動乱の時代において人としての理想をどう保つかという深い問いかけを含んでいます。

清廉であることは確かに美徳ですが、時として「濁り」を受け入れることもまた賢明な選択であることを、魏の徐邈は身をもって示しました。

現代に生きる私たちも、理想と現実の間で揺れる中、この言葉に支えられることがあるでしょう。

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