
「今回の営業提案、また競合に負けてしまったな……」
「まぁ、こういうこともあるよ。誰だって苦杯をなめる経験はある。」
ビジネスの現場やニュースの中で耳にすることのある「苦杯をなめる」という言い回し。似たような表現で「苦杯を喫する」という言い方もあります。
ところが最近、「苦杯にまみれる」という表現を目にすることがあります。違和感を覚える方もいれば、何となく意味は通じると感じる方もいるかもしれません。
この記事では、「苦杯をなめる/喫する」の正しい意味と使い方、そして「苦杯にまみれる」という誤用がなぜ起きるのかについて、わかりやすく解説していきます。
「苦杯をなめる/苦杯を喫する」の意味と使い方
「苦杯(くはい)をなめる」と「苦杯を喫する」は、いずれも屈辱や敗北などの苦い経験を味わうことを意味する慣用句で、意味に違いはありません。
表現としての違いはあるものの、どちらもニュースやビジネス文書などで広く使用されており、場面によって自然な方を選ぶという程度の差です。
正しい使い方例
- 新規プロジェクトの失敗で、チーム全体が苦杯をなめた。
- 初挑戦の選挙で苦杯を喫したが、次回は見事当選した。
- 大口契約を競合に奪われ、営業部は苦杯をなめる結果となった。
語源:「苦杯」は比喩的な表現
「苦杯」とは直訳すると「苦い酒を注いだ杯」のことです。
そこから転じて、苦い経験・敗北・挫折の象徴として「苦杯」が使われるようになり、それを「なめる」「喫する」という動詞を伴って、「味わう」=「体験する」という意味が定着しました。
このように、「苦杯をなめる」「苦杯を喫する」は比喩的な表現であり、身体的な動作を通じて精神的な体験を表す、日本語ならではの言い回しです。
誤用「苦杯にまみれる」はなぜ生まれたのか

「苦杯にまみれる」という表現を目にすることがありますが、これは一般的に誤用とされる表現です。
「まみれる」は本来、「血にまみれる」「泥にまみれる」など、何かで全身が覆われる、染まるといった状況を表す動詞です。
そこから転じて、「屈辱にまみれる」「悲しみにまみれる」など、抽象的なものに強く包まれるような状態を表現する用法も広がっています。
一方、「苦杯」は「敗北」や「屈辱」といった意味を象徴的に表す語ではありますが、同時に「杯(さかずき)」という具体的な物体としてのイメージも強く残る言葉です。そのため、「苦杯にまみれる」となると、“杯”に全身が包まれる”ような不自然な印象を与えることになり、表現としての違和感が生じると考えられます。
それにもかかわらず、あえてこのような表現が使われてしまう背景には、いくつかの理由が考えられます。
- 「まみれる」が抽象的な語(例:屈辱、悲哀)と共に使われる例があることで、語感だけで使っても意味が通じるように思えてしまう。
- 「苦杯をなめる」「苦杯を喫する」といった正しい言い回しが十分に知られておらず、耳慣れた語感で置き換えてしまった。
- 「~にまみれる」という表現が強い印象を与えるため、意味よりも響きで使われた。
いずれにしても、「苦杯にまみれる」は本来の慣用句として正しい形ではなく、誤用とされる表現です。意味が通じるように思えても、定着した言い回しではなく、文章としての正確さを欠くため、特にビジネスや公的な文脈では使用を避けるべきでしょう。
まとめ:苦杯は「敗北」や「屈辱」の象徴
「苦杯をなめる」「苦杯を喫する」は、敗北やつらい経験を味わうことを表す慣用句です。どちらの言い回しを用いても意味は同じで、使用する場面や文体に合わせて自然な方を選べばよいでしょう。
一方、「苦杯にまみれる」という表現は、文法的に誤っており、意味も通りません。正しくは「苦杯をなめる」あるいは「苦杯を喫する」と表現すべきです。
苦い経験は誰にでもあるものですが、それをどう受け止め、次につなげるかが大切です。「苦杯をなめる」ことも、時に大きな成長の糧になります。
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