
瓦釜雷鳴(がふらいめい)は、才能や徳のない者が高い地位を得て、威勢を振るうことをたとえた四字熟語です。
その言葉が見えるのが、『楚辞』「卜居」です。作中では、楚の屈原(くつげん)が、忠義を尽くしながら讒言によって退けられ、どのような生き方を選ぶべきなのかを太卜(たいぼく)の鄭詹尹(ていえんいん)に問いかけます。
そこで屈原が口にするのが、「黄鐘は捨てられ、瓦の釜が雷のように鳴り響く」という言葉です。優れた人物が顧みられず、そうでない者が勢力を振るう――世の価値が逆転した状況を表す痛烈なたとえでした。
「瓦の釜」が鳴り響く?瓦釜雷鳴の意味
瓦釜雷鳴(がふらいめい)とは、才能や徳のない者が高い地位を得て、威勢を振るうことのたとえです。
「瓦釜」とは、素焼きの土で作った釜のこと。「雷鳴」は、雷がとどろくように大きな音を立てることです。粗末な瓦の釜が、あたかも立派な楽器であるかのように雷のような大音響を立てることから、才能や徳のない者が高い地位を占め、勢力を振るうことを表します。
単に「騒がしい人」を表す言葉ではありません。実力や徳に乏しい者が重く用いられ、威勢を振るっているという、人物評価の誤りを批判する意味を持つ言葉です。
実力より声の大きさが通る――瓦釜雷鳴の使い方
瓦釜雷鳴は、才能や徳に乏しい人物が重用され、かえって有能な人物が正当に評価されていないような状況を批判するときに使います。古典に由来する格調の高い表現なので、日常会話よりも文章や評論などで使いやすい四字熟語です。
- 実力のある人材が退けられ、口のうまい者ばかりが出世するとは、まさに瓦釜雷鳴のありさまだ。
- 専門家の忠告が無視され、根拠の乏しい意見を唱える者ばかりが重用される状況を、彼は瓦釜雷鳴と評した。
- 功績のある者が評価されず、取り入ることに長けた者だけが重用されれば、組織は瓦釜雷鳴の状態に陥ってしまう。
- 彼が嘆いたのは、自分の不遇だけではなく、賢者が埋もれ、つまらない人物が幅を利かせる瓦釜雷鳴の世そのものだった。
黄鐘は捨てられ、瓦の釜が鳴る――屈原の嘆き

「瓦釜雷鳴」の出典は、『楚辞』「卜居(ぼくきょ)」に見える「黄鐘毀棄、瓦釜雷鳴」という一節です。
「卜居」では、讒言によって君主から遠ざけられた屈原(くつげん)が、どのような生き方を選ぶべきなのかを問い、太卜(たいぼく)の鄭詹尹(ていえんいん)を訪ねます。
■ 屈原はなぜ占いを求めたのか
屈原は君主に再び見えることができず、知恵と忠義を尽くしても、讒言によってその働きを妨げられる境遇にありました。そこで屈原は、正直な生き方を貫くべきか、それとも世俗に従って身を保つべきか――相反する生き方を次々と挙げ、「どちらを捨て、どちらに従えばよいのか」と鄭詹尹に問いかけます。
その問いの末に語られるのが、正しいものが軽んじられ、そうでないものが重んじられる世の中への嘆きです。
原文:
世溷濁而不清
蟬翼為重 千鈞為輕
黃鐘毀棄 瓦釜雷鳴
讒人高張 賢士無名
吁嗟默默兮 誰知吾之廉貞書き下し文:
世は溷濁して清からず。
蟬翼を重しと為し、千鈞を軽しと為す。
黄鐘は毀棄せられ、瓦釜は雷鳴す。
讒人は高張し、賢士は名なし。
吁嗟、黙黙たり。誰か吾の廉貞を知らん。訳文:
世の中はすっかり濁り、正しいものが正しく評価されなくなっている。蝉の羽のように軽いものが重く扱われ、反対に、千鈞という非常に重いものが軽く扱われている。優れた音を響かせる黄鐘は壊されて捨てられ、粗末な瓦の釜ばかりが雷のように大きな音を立てている。人を陥れるような者が幅を利かせ、その一方で、立派な人物は世に認められない。
ああ、もはや黙っているほかないのだろうか。私が清廉で正しい心を守っていることを、いったい誰が分かってくれるのだろう。

■ 「黄鐘」と「瓦釜」が示すもの
この一節では、世の価値判断が逆転していることが、鮮やかな対比によって表現されています。まず、蝉の羽のように軽い「蟬翼」が重いものとされ、本来きわめて重い「千鈞」が軽いものとして扱われます。
それに続くのが、「黃鐘毀棄 瓦釜雷鳴」です。「黄鐘」は、中国古代の十二律の基準となる音律、またはその基準音を出す楽器を指します。ここでは価値ある優れた人物のたとえとして用いられ、それが「毀棄」、つまり壊され捨てられています。
一方の「瓦釜」は、素焼きの粗末な釜です。本来は黄鐘と比べるべくもない瓦釜が、「雷鳴」――雷のような大音響を立てています。後漢の王逸は『楚辞章句』で、「黄鐘毀棄」を賢者が隠れ埋もれること、「瓦釜雷鳴」を愚者が騒ぎ立てることとして解釈しています。
そして原文は、「讒人高張、賢士無名」と続きます。人をそしる者が勢力を振るう一方で、賢者は世に知られない。「黄鐘」と「瓦釜」の比喩が、ここで現実の人間社会の姿へと重ねられているのです。
■ 「瓦釜雷鳴」が伝えるもの
四字熟語「瓦釜雷鳴」は、この原文の四字に由来します。ただし、その意味は「黄鐘毀棄」や「讒人高張、賢士無名」とあわせて読むことで、より鮮明になります。
原文全体が描いているのは、正しいものが軽んじられ、そうでないものが重んじられる、価値判断の逆転した世の中です。屈原の問いには、そのような世にあっても自らの正しさを守るべきかという苦悩が込められています。
現代でも、実績や能力より迎合が評価され、本来評価されるべき人物が埋もれてしまうことがあります。そのような状況を批判するとき、「瓦釜雷鳴」は二千年以上を経た今も意味を失わない言葉といえるでしょう。
楚の故事をもっと読む――人物たちが残した四字熟語
『楚辞』の屈原だけでなく、楚に関係する人物や出来事からは数多くの四字熟語が生まれています。外交の駆け引き、戦場での判断、宝玉をめぐる信念、君主にまつわる伝説など、それぞれ異なる角度から楚の歴史と文化をのぞくことができます。
画蛇添足(がだてんそく)|『戦国策』に見える故事。魏を破り、さらに斉へ攻め込もうとする楚の将・昭陽に対し、斉の使者・陳軫は「蛇を最初に描き終えながら、余計な足を描き加えたため酒を失った男」の話を語る。すでに大功を立てた昭陽が、さらに功名を求めればかえって身を危うくすると説いた、外交上の巧みな説得の故事- 河魚腹疾(かぎょのふくしつ)|『春秋左氏伝』に見える、楚の申叔展と敵方にいた旧知の還無社の故事。楚軍による蕭の攻撃を背景に、二人は「河魚」と「腹疾」などを用いた謎めいた問答を交わす。敵味方に分かれながらも互いの意図を読み取り、危機から救おうとする二人の機知と信頼が描かれた逸話
和氏之璧(かしのへき)|『韓非子』に見える楚の卞和の逸話。卞和は山中で得た玉の原石を楚王に献上しますが、ただの石と判断され、虚言の罪によって左右の足を切られてしまう。それでも玉の真価を訴え続け、ついに名玉であることが認められた。真に価値あるものを見抜くことの難しさを伝える壮絶な故事
遺簪墜屨(いしんついく)|『韓詩外伝』に見える孔子と簪をなくした婦人の逸話と、『新書』「諭誠」に見える楚の昭王の故事に関係する言葉。呉との戦いに敗れて逃れる途中、昭王は落とした履物を拾うために引き返した。物の値段ではなく、長く使ってきたものへの愛着や古くからの縁を大切にする心を表す- 雲雨巫山(うんうふざん)|楚の宋玉「高唐賦」に語られる巫山の神女の伝説に由来します。楚の先王・懐王が高唐に遊んだ際、夢の中に現れた巫山の神女と契りを結ぶ。神女は去り際に、自らは「朝には雲となり、夕には雨となる」と告げた。巫山の幻想的な情景と男女の契りが結び付いた、中国文学史上名高い故事
瓦釜雷鳴に近い言葉・反対の意味を持つ言葉
類義語
「瓦釜雷鳴」と意味がほぼ一致し、一般的な日本語辞書にも広く掲載されている四字熟語は、見当たりません。
対義語
「瓦釜雷鳴」と明確に反対の意味を持ち、一般的な日本語辞書に定着している四字熟語は、見当たりません。
瓦釜雷鳴を英語で表すと?
「瓦釜雷鳴」は中国古典特有の比喩を含むため、英語では文脈に応じて意味を説明する表現が適しています。
| 英語表現 | ニュアンス |
|---|---|
| the unworthy hold sway | ふさわしくない者が権勢を振るう |
| the unworthy are in power while the worthy are neglected | ふさわしくない者が力を持つ一方、優れた者が顧みられない |
まとめ|屈原が「瓦の釜」に託した痛烈な批判
瓦釜雷鳴は、才能や徳のない人物が高い地位を得て、威勢を振るうことを表す四字熟語です。出典となった『楚辞』「卜居」で重要なのは、「黄鐘毀棄、瓦釜雷鳴」という鮮烈な対比です。
価値ある黄鐘は捨てられ、粗末な瓦の釜が雷のように鳴り響く――。
さらに原文では「讒人高張、賢士無名」と続き、人をそしる者が勢力を振るう一方で、賢者は世に知られないという、価値の逆転した社会が描かれています。
声が大きいことと、価値があることは同じではありません。本当に評価すべき人物や意見を見分けられているのか。「瓦釜雷鳴」は、組織や社会における評価のあり方を考えさせる、現代にも通じる四字熟語です。
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