
合従連衡(がっしょうれんこう)は、中国の戦国時代、強大化する秦をめぐって諸国が展開した二つの外交政策「合従」と「連衡」を合わせた言葉です。
「合従」は六国が結束して秦に対抗する政策、「連衡」は秦と六国がそれぞれ結び、合従の連合を崩していく政策を指します。前者では蘇秦(そしん)、後者では張儀(ちょうぎ)が代表的な縦横家(じゅうおうか)として知られています。
『史記』「孟子荀卿列伝」には、諸国が「合従連衡」に力を注ぎ、他国を攻めることを優れた方策と考えていた時代に、孟子(孟軻)が堯・舜や夏・殷・周三代の徳を説いたため、諸侯に受け入れられなかったことが記されています。
合従連衡の意味とは|敵か味方か、戦国を動かした同盟外交
合従連衡(がっしょうれんこう)とは、その時々の情勢や利害に応じて複数の勢力が結び合うこと、また、そのような外交上・政治上の駆け引きを意味します。もともとは、中国の戦国時代に行われた「合従」と「連衡」という二つの外交政策を指す言葉です。
「合従」の「従」は「縦」に通じ、南北に連なる諸国が力を合わせることを表します。西方の強国・秦に対抗するため、趙・韓・魏・楚・燕・斉の六国を結束させようとした政策で、蘇秦がその代表的な説客として知られています。
一方、「連衡」の「衡」は横、すなわち東西の結びつきを表します。秦が東方の六国とそれぞれ同盟を結ぶ政策で、張儀がその代表的な説客として知られています。
この歴史的意味から転じて、現代では国家間の外交だけでなく、企業提携や業界再編、政治勢力の連携など、情勢や利害に応じて複数の勢力が結び合うことや、その駆け引きにも使われます。
合従連衡の使い方と例文|現代の企業提携や勢力争いにも使える
「合従連衡」は、複数の勢力がそれぞれの目的や利害を背景として、提携関係を築いたり組み替えたりする状況に適した表現です。単に「協力する」という意味ではなく、勢力関係をめぐる思惑や駆け引きを含む場合に使われます。そのため、政治・外交のほか、企業の業務提携や業界再編などにも用いられます。
- 各国は安全保障をめぐり、複雑な合従連衡を繰り広げている。
- 業界再編が進むなか、各社の合従連衡が今後の市場勢力図を左右しそうだ。
- 選挙を前に複数の政治勢力による合従連衡が進み、情勢は目まぐるしく変化した。
- 新技術の開発競争では、競合企業を含めた合従連衡によって、新たな企業連合が生まれることがある。
合従連衡の語源・由来|孟子が生きた「攻伐を賢し」とする戦国の現実

「合従連衡」の出典として挙げられるのが、司馬遷『史記』巻七十四「孟子荀卿列伝」です。
この一節は、孟子(孟軻)の思想が当時の諸侯に受け入れられなかった背景について述べたものです。孟子は斉の宣王に仕えましたが用いられず、その後、梁へ赴きました。しかし梁の恵王にも、その説は現実の事情からかけ離れていると見られ、受け入れられませんでした。
その理由を説明するように、司馬遷は当時の情勢を記しています。秦は商君(商鞅・しょうおう)によって富国強兵を進め、楚・魏では呉起(ごき)が力を振るい、斉も威王・宣王のもとで勢力を伸ばしていました。
諸国が外交と軍事によって覇を競うなか、天下が力を注いでいたのが「合従」と「連衡」でした。
原文:
當是之時 秦用商君富國彊兵
楚魏用吳起戰勝弱敵
齊威王宣王用孫子田忌之徒而諸侯東面朝齊
天下方務於合從連衡以攻伐為賢
而孟軻乃述唐虞三代之德 是以所如者不合書き下し文:
是の時に当たり、秦は商君を用いて国を富まし兵を彊くし、
楚・魏は呉起を用いて戦いに勝ち敵を弱くし、
斉の威王・宣王は孫子・田忌の徒を用いて、諸侯は東面して斉に朝す。
天下方に合従連衡に務め、攻伐を以て賢と為す。
而るに孟軻は乃ち唐・虞・三代の徳を述ぶ。是を以て如く所の者合わず。訳文:
このころ、秦は商君(商鞅)を登用して国を富ませ兵を強くし、楚と魏は呉起を登用して戦いに勝ち、敵国を弱体化させていました。斉の威王・宣王は孫子・田忌らを用い、諸侯は斉に朝見するほどでした。天下はまさに合従と連衡に力を注ぎ、他国を攻め討つことを優れた方策と考えていました。ところが孟軻は、堯・舜と夏・殷・周三代の徳を説きました。そのため、行く先々で時の君主たちと考えが合わなかったのです。

ここに、「合従連衡」の語源となる「天下方務於合從連衡」という表現が見えます。
「合従」は、秦の東方にある諸国が連合して秦に対抗しようとする政策、「連衡」は秦と東方諸国がそれぞれ結びつく政策を指します。合従では蘇秦、連衡では張儀が代表的な説客として知られています。
ただし、この「孟子荀卿列伝」の一節で司馬遷が詳しく述べているのは、蘇秦や張儀の外交活動そのものではありません。「天下は合従連衡に努め、攻伐を賢しとしていた」という言葉によって、孟子が生きた時代の風潮を示しています。
当時の諸国では、国を富ませ、軍を強くし、外交によって味方を増やし、戦争に勝つことが重視されていました。
これに対して孟子が説いたのは、「唐・虞・三代の徳」です。「唐・虞」は堯・舜の時代、「三代」は夏・殷・周を指します。つまり孟子は、合従連衡や攻伐が重視された時代に、古代の聖王を理想として徳にもとづく政治を説いたのです。
司馬遷は、その結果を「是以所如者不合」――「そのため行く先々で考えが合わなかった」と記しています。
ここで重要なのは、孟子がこの一節で「合従連衡」という外交政策そのものを批判した、と書かれているわけではないことです。司馬遷が示しているのは、外交と軍事を重視する当時の現実と、唐・虞・三代の徳を説く孟子との隔たりです。
なお、「合従」と「連衡」の具体的な展開や蘇秦・張儀の活動については、『史記』の「蘇秦列伝」「張儀列伝」などに詳しく記されています。
現代では、この歴史的な「合従」「連衡」から意味が広がり、「合従連衡」は国家・政党・企業などが、その時々の情勢や利害に応じて結び合うことや、その駆け引きを表す言葉として使われています。
戦国時代の国家間外交と現代の社会では状況こそ異なりますが、複数の勢力が「誰と結ぶのか」によって勢力図が変化するという点に、この言葉が現在まで使われ続ける理由を見ることができます。
孟子の思想をさらに読む|戦国の世に仁義を説いた故事
「合従連衡」が盛んだった戦国時代に、孟子は仁義や徳にもとづく政治を説きました。孟子本人や母・孟母、そして孟子が論じた思想家たちにまつわる故事をあわせて読むと、当時の思想世界をより立体的に理解できます。
孟母三遷(もうぼさんせん)|孟子と母・孟母にまつわる教育の故事。幼い孟子が周囲の人々をまねる姿を見た孟母が、子どもの成長には環境が重要だと考え、墓地の近く、市場の近くを経て、学びに適した場所へ住居を移したと伝えられる。後に儒家を代表する思想家となる孟子の成長を、母の教育という側面から伝える有名な逸話- 一朝之患(いっちょうのうれい)|『孟子』離婁下に見える言葉。孟子は、君子には生涯にわたって心にかけるべき憂いはあっても、目先の一時的な災いに心を奪われることはないと説いた
軻親断機(かしんだんき)|孟子(孟軻)と孟母にまつわる教育の故事。学問を途中でやめて帰ってきた孟子に対し、孟母が織りかけの布を断ち切り、学問を途中でやめることは織物を途中で断つのと同じだと戒めた。孟母三遷とともに、孟子の成長を支えた母の教育を象徴する故事- 一暴十寒(いちばくじっかん)|『孟子』告子上に由来する言葉。孟子は、たとえ育ちやすいものでも、一日暖めたあと十日間冷やせば育たないという比喩を用い、自分が王を善い方向へ導こうとしても、その働きかけが続かなければ成果につながらないことを説いた。継続した働きかけの重要性を伝える故事
枉尺直尋(おうせきちょくじん)|孟子と弟子・陳代の問答に由来する故事。陳代は「一尺を曲げて八尺を伸ばす」ように、小さな譲歩によって大きな利益を得ることを勧めますが、孟子は利益を理由として義を曲げる考えを退けた- 一毛不抜(いちもうふばつ)|『孟子』尽心上に見える楊朱についての言葉に由来。孟子、楊朱、墨子の思想対立を背景に、たとえ毛一本を抜くだけで天下の利益になるとしても、それすらしようとしないという極端な利己心を表した語
合従連衡の類義語・対義語|「団結」と「離反」の違いから整理する
類義語
「合従連衡」には、同じ意味で用いられる異表記や、意味の近い語があります。
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 合従連横(がっしょうれんおう) | 「合従連衡」の異表記。合従の策と連衡の策を表す |
| 離合集散(りごうしゅうさん) | 離れたり集まったりすること。人や勢力が結びついたり分かれたりすること |
対義語
「合従連衡」に辞書的に定まった対義語はありません。意味上の対照として、勢力がまとまりを失い、分裂することを表す語を挙げることができます。
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 四分五裂(しぶんごれつ) | 一つにまとまっていたものが、いくつにも分かれて統一を失うこと |
| 分崩離析(ぶんぽうりせき) | まとまっていた組織などが崩れ、ばらばらになること |
合従連衡の英語表記|変化する同盟関係をどう表現するか
英語では「合従」「連衡」という戦国時代固有の外交政策を一語で完全に表す定訳はありません。現代的な意味では、文脈に応じて次のように表現できます。
| 英語表記 | 意味 |
|---|---|
| shifting alliances | 情勢や利害に応じて変化する同盟関係 |
| alliance diplomacy | 同盟関係を利用した外交 |
| forming and breaking alliances | 同盟を結んだり解消したりすること |
合従連衡が伝えるもの|力の外交と仁義の政治が交差した戦国時代
「合従連衡」は、現在では情勢や利害に応じて複数の勢力が結び合うことや、その駆け引きを表す言葉です。その由来となる『史記』「孟子荀卿列伝」には、諸国が「合従連衡」に力を注ぎ、「攻伐を賢し」とした戦国時代の姿が記されています。
そのような時代に、孟子が説いたのは堯・舜や夏・殷・周三代の徳でした。『史記』の一節からは、外交と軍事が重視された現実と、徳にもとづく政治を説いた孟子との隔たりが浮かび上がります。
現代では国家外交だけでなく、政党間の連携や企業提携、業界再編などにも使われる四字熟語です。
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