蝸角之争とは?『荘子』則陽篇に見る戴晋人と魏の恵王――かたつむりの角に映された国家の争い

おもしろ四字熟語
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蝸角之争(かかくのあらそい)とは、取るに足りない小さなことをめぐって争うことを意味する四字熟語です。その背景にあるのは、中国戦国時代の思想を伝える『荘子』則陽(そくよう)篇の寓話です。

斉との盟約を破られて怒る魏の王に対し、戴晋人(たいしんじん)は、かたつむりの左右の角に国があり、領土をめぐって激戦を繰り広げているという奇抜な話を語ります。

広大な世界から見れば、一国の君主が執着する争いさえ、かたつむりの角の上の戦争と変わらない――『荘子』らしい壮大な視点によって、人間の争いの小ささを浮かび上がらせる故事です。

荘子とは、戦国時代の思想家、荘子(荘周・そうしゅう)と、その後の弟子たちによってまとめられた道家の代表的な古典です。
老子の思想を受け継ぎ、人間の固定観念や世間のしがらみにとらわれず、自然のままに自由に生きる「無為自然」の思想を、多くの寓話を通して説いています。
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蝸角之争の意味|「かたつむりの角」が表す小さな争い

蝸角之争(かかくのあらそい)とは、取るに足りない小さなことをめぐって争うことを意味します。

「蝸」は、かたつむりのこと。「蝸角」は、かたつむりの角を指し、非常に狭いことや小さいことのたとえです。そこから「蝸角之争」は、狭い範囲の利益や立場にこだわり、つまらないことで争うことを表す言葉として用いられます。

「蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争い」の略です。

蝸角之争の使い方と例文|目先の利害にとらわれた争いを表す

蝸角之争は、当事者にとっては重大に見えていても、より広い視点から見れば取るに足りない争いを表す場合に使います。個人間の小競り合いだけでなく、組織内での権限争いや、わずかな利益をめぐる対立などにも用いることができます。

  • 部署同士がわずかな予算の配分をめぐって対立しているが、会社全体から見れば蝸角之争にすぎない。
  • 些細な言葉の行き違いから何日も口論を続けるのは、まさに蝸角之争である。
  • 目先の利益を奪い合って互いに疲弊するようでは、後世から蝸角之争と評されかねない。
  • 自分たちの立場だけに固執せず、一度大局から眺めれば、その対立が蝸角之争であることに気づくだろう。

蝸牛の角で数万の死者?|戴晋人が魏の王に見せた「無窮」の世界

蝸角之争の由来は、『荘子』雑篇・則陽(そくよう)篇に記された戴晋人(たいしんじん)魏の恵王との問答にあります。

物語の舞台は戦国時代です。『荘子』則陽篇では、魏瑩(ぎえい・魏の恵王)が斉の田侯牟(でんこうぼう)と盟約を結んだものの、田侯牟がこれに背いたため、魏王が怒り、人を遣わして田侯牟を刺殺させようとしたという話から展開します。臣下たちは斉を攻めるべきか否かをめぐって、さまざまな意見を述べます。

その中で華子(かし)は、斉を攻めよと言う者も、攻めるなと言う者も、さらにその両方を乱を生む者だと言う者も、やはり乱を生む者であるとして、王にはただ「道」を求めるよう勧めました。

この話を聞いた恵子(けいし)は、戴晋人を魏の王に会わせます。

ここで戴晋人は、戦争の是非を正面から論じません。代わりに王へ、突然「かたつむりをご存じですか」と問いかけます。そして、かたつむりの二本の角を舞台にした、途方もない寓話を語り始めます。

原文:
惠子聞之而見戴晉人
戴晉人曰「有所謂蝸者 君知之乎」
曰「然」
「有國於蝸之左角者曰觸氏 有國於蝸之右角者曰蠻氏 時相與爭地而戰 伏尸數萬 逐北旬有五日而後反」
君曰「噫 其虛言與」
曰「臣請為君實之 君以意在四方上下有窮乎」
君曰「無窮」
曰「知遊心於無窮 而反在通達之國 若存若亡乎」
君曰「然」
曰「通達之中有魏 於魏中有梁 於梁中有王 王與蠻氏有辯乎」
君曰「無辯」
客出而君惝然若有亡也

書き下し文:
恵子、之を聞きて戴晋人をまみえしむ。
戴晋人曰く、「所謂いわゆるなる者有り、君之を知るか。」
曰く、「然り。」
蝸の左角に国する者有り、触氏しょくしと曰い、蝸の右角に国する者有り、蛮氏ばんしと曰う。時に相与に地を争いて戦い、伏尸ふくし数万、ぐるを逐うこと旬有五日じゅんゆうごじつにして而る後に反る。」
君曰く、「ああ、其れ虚言か。」
曰く、「臣請う、君の為に之を実にせん。君、意を以て四方上下に在りて、きわまり有るか。」
君曰く、「無窮むきゅうなり。」
曰く、「心を無窮に遊ばしむるを知りて、反りて通達つうたつの国に在るは、存するが若く亡きが若きか。」
君曰く、「然り。」
曰く、「通達の中に魏有り、魏の中に梁有り、梁の中に王有り。王と蛮氏と、わかつこと有るか。」
君曰く、「辯つこと無し。」
客出でて、君惝然しょうぜんとして亡うこと有るが若し。

訳文:
恵子はこの話を聞くと、戴晋人を王に会わせました。
戴晋人:「いわゆる、かたつむりというものをご存じですか。」
王:「知っている。」

戴晋人:「かたつむりの左の角には国があり、その国を触氏といいます。右の角にも国があり、その国を蛮氏といいます。ある時、両国は土地をめぐって争い、戦争となりました。倒れた死者は数万に及び、敗走する敵を十五日間追った後、ようやく引き返しました。」

王:「ああ、それは作り話であろう。」
戴晋人:「では、どうか王のために、この話が現実にも当てはまることをお示ししましょう。王のお考えでは、東西南北と上下に広がる空間には、果てがあるでしょうか。」

王:「果てはない。」
戴晋人:「心を果てしない空間に遊ばせ、そこから振り返ってこの有限な人間世界を見れば、存在するとも、存在しないとも思えるほど小さなものではありませんか。」

王:「その通りだ。」
戴晋人:「その世界の中に魏があり、魏の中に都の梁があり、梁の中に王がおられます。王と蛮氏との間に、何か違いがあるでしょうか。」

王:「違いはない。」
戴晋人が退出すると、王は茫然として、何かを失ったかのような様子になりました。

この寓話で特に印象的なのが、「蝸之左角」と「蝸之右角」です。かたつむりの左の角には触氏の国があり、右の角には蛮氏の国がある。両国は、その極小の世界の土地をめぐって戦い、数万人もの死者を出したと語られます。

王が「其虚言与」、つまり作り話ではないかと疑うと、戴晋人は話の尺度を一気に広げます。

戴晋人は王に「四方上下」、すなわち東西南北と上下に広がる空間を思い描かせます。王は、その広がりには「無窮」、つまり果てがないと認めます。すると、その無限の空間から見れば、人間が暮らす有限の世界は、存在しているのかいないのか分からないほど小さい。その中に魏があり、さらに都の梁があり、そこに王がいるにすぎません。

そして戴晋人は、決定的な問いを投げかけます。

「王與蠻氏有辯乎」――王と蛮氏との間に、違いがありますか。

魏の王は「無辯」、違いはない、と答えます。

ここに「蝸角之争」の核心があります。

当事者にとって、領土や国家をめぐる争いは巨大な問題です。しかし視野を果てのない天地にまで広げれば、その争いも、かたつむりの角のわずかな土地を奪い合う触氏と蛮氏の戦争と同じように小さなものとして捉えられます。

なお、「蝸角之争」という四字そのものが引用部分にそのまま現れるわけではありません。語源となっているのは、「蝸之左角」「蝸之右角」に国を置き、「相与争地而戦」とする『荘子』の寓話です。この故事から、狭い世界でのつまらない争いを「蝸角之争」と表すようになりました。

現代でも、組織内の派閥争い、わずかな利益の奪い合い、意地や面子にこだわった対立など、当事者が視野を狭めて争っている場面があります。「蝸角之争」は、そうした争いを、より大きな尺度から見れば取るに足りないものだと表す言葉です。

『荘子』の寓話をさらに読む|名利・知足・達人を描いた関連語句

『荘子』には、常識や名利に縛られた人間を独特の寓話によって見つめ直す言葉が数多くあります。「蝸角之争」とあわせて読むと、荘子が人間の欲望や価値観をどのように捉えたのかが、より立体的に見えてきます。

  • 喙長三尺(かいちょうさんじゃく)『荘子』徐無鬼篇で、孔子が楚を訪れた際に、言葉に頼らず争いを収めた市南宜僚孫叔敖を語り、「丘は三尺の喙が欲しい」と述べた故事。現在では、口が達者で弁舌に優れていることのたとえとして使われる
  • 以身殉利(いしんじゅんり)『荘子』駢拇篇で、小人は利益に、士は名声に、大夫は家に、聖人は天下に身を捧げると述べた一節に由来する。目的は違っても、本来の性質を損なって身を投じる点では同じだと論じ、利益や名声への執着を問い直す言葉
  • 咳唾成珠(がいだせいしゅ)|後漢の文人趙壹が「刺世疾邪賦」で「咳唾自成珠」と記し、権勢ある者の言葉が過度に尊ばれる世相を風刺した表現に由来する。後には、一言一句が珠玉のように優れた、詩文の才能豊かな人物を表す意味でも用いられる
  • 一飲一啄(いちいんいったく)『荘子』養生主篇に描かれる、野の雉が十歩進んで一度ついばみ、百歩進んで一度水を飲んでも、籠の中で飼われることを望まないという寓話に由来。分に安んじて多くを求めず、自然の中で自由に生きる姿を表す
  • 運斤成風(うんきんせいふう)荘子が亡き友恵子の墓を通りかかった際、名工匠石郢人の鼻先についた薄い白土だけを斧で削り落とした故事を語ったもの。卓越した技量を表すとともに、原典では技を受け止めてくれる相手を失った荘子の思いも描かれる
  • 衣履弊穿(いりへいせん)『荘子』山木篇荘子魏の恵王との対話に由来。粗末な衣服と破れた履物で現れた荘子は、「これは貧しいのであって、疲弊しているのではない」と答え、道徳を備えながら実行できないことこそ「憊」であると説く
  • 飲河満腹(いんかまんぷく)『荘子』逍遥遊篇で、天下を譲ろうとするに対し、許由が「モグラが川の水を飲んでも、腹が満ちる以上には飲まない」と語って辞退した故事。どれほど多くのものがあっても、人が本当に必要とする量には限りがあることを示す
  • 甕裡醯鶏(おうりけいけい)『荘子』田子方篇で、孔子老子との対話の後、自らの道についての見識を甕の中に生じる小さな虫「醯鶏」にたとえた故事。老子によって覆いを開かれ、「天地の大全」を初めて知ったと語る場面から、見識の狭さや世間知らずを表す

蝸角之争の類義語・対義語|小さな争いと大局を見る姿勢

類義語

「小さな利益や狭い範囲をめぐって争う」という点では、次の語句が蝸角之争と近い意味を持ちます。

語句(かな) 意味
蝸牛角上(かぎゅうかくじょう) かたつむりの角の上のような狭い世界で、つまらないことを争うこと。『荘子』則陽篇の同じ故事に基づく表現
蛮触之争(ばんしょくのあらそい) かたつむりの左右の角にある蛮氏と触氏が土地を争った故事から、つまらない争いをいう

対義語

蝸角之争について、一般的な日本語辞書で対義語として定着している語はありません。

蝸角之争の英語表記|「取るに足りない争い」をどう表すか

蝸角之争は『荘子』特有の寓話に基づくため、英語に完全に対応する定型表現はありません。文脈に応じて「些細なことをめぐる争い」という意味を訳すのが自然です。

英語表現 意味
a petty quarrel つまらないことをめぐる小さな争い
a dispute over trifles 些細なことをめぐる争い
a trivial dispute 取るに足りない争い

まとめ|世界を広げれば「蝸牛の角」の争いに見えてくる

蝸角之争とは、取るに足りない小さなことをめぐって争うことを意味する四字熟語です。

由来は『荘子』則陽篇。戴晋人が魏の王に、かたつむりの左右の角にある触氏と蛮氏が土地をめぐって戦う寓話を語った故事に基づきます。

当事者には重大に思える争いも、広い視野から見ればごく小さなものにすぎない――。「蝸角之争」は、そんな狭い世界でのつまらない争いを表す言葉です。

◆この記事について
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