
咳唾成珠(がいだせいしゅ)とは、権勢の盛んなさま、または詩文の才能が豊かなさまを意味する四字熟語です。
「咳や唾のような何気ないものまで珠玉となる」という表現から、権勢のある人物の言葉が重んじられることや、優れた人物の言葉や文章が高く評価されることを表します。
本記事では、『荘子』秋水(しゅうすい)篇と趙壹(ちょういつ)の「刺世疾邪賦(しせいしつじゃのふ)」を背景として、その意味や由来を詳しく解説します。
老子の思想を受け継ぎ、人間の固定観念や世間のしがらみにとらわれず、自然のままに自由に生きる「無為自然」の思想を、多くの寓話を通して説いています。
咳唾成珠とは?権勢と文才を表す意味を解説
咳唾成珠(がいだせいしゅ)とは、以下の意味を持ちます。
- 権勢が盛んで、その人の言葉が何気ないものであっても重んじられるさま。
- 詩文の才能に優れ、その言葉や文章が珠玉のように価値あるものと評価されるさま。
「咳唾」は咳や唾のことで、転じて口から発する言葉を表します。「成珠」は珠玉となることを意味します。
咳唾成珠はどう使う?例文でわかる使い方
本来は権勢の盛んな人物についていう語ですが、現在では主に詩文の才能が豊かなさまの意味で用いられ、優れた文章家や学者、思想家などの言葉や文章を称賛する際に使われます。
- 教授の講義はまさに咳唾成珠で、一言一句に深い学びがある。
- その作家は咳唾成珠と評され、日常の会話さえ名文になるといわれた。
- 彼の演説は咳唾成珠で、多くの聴衆を魅了した。
- 古典研究者としての見識が深く、まさに咳唾成珠の人物である。
なぜ咳や唾が珠になるのか―咳唾成珠の由来

咳唾成珠は、「咳や唾のような何気ないものまで珠玉となる」という意味を持つ四字熟語です。その語源としては『荘子』秋水(しゅうすい)篇と、後漢の文人趙壹(ちょういつ)の『刺世疾邪賦(しせいしつじゃのふ)』が知られています。
『荘子』秋水篇には、一本足の怪物である夔(き)と、多くの足を持つ蚿(げん:ゲジゲジ)の問答が収められています。
夔が「なぜそんなに多くの足を自在に動かせるのか」と尋ねると、蚿は「自然の働きによるもので、自分でも理由は分からない」と答え、そのたとえとして人が唾を吐く様子を挙げています。
出典:『荘子』秋水篇
原文:
「子不見夫唾者乎
噴則大者如珠 小者如霧 雜而下者不可勝數也
今予動吾天機 而不知其所以然」書き下し文:
「子は夫の唾する者を見ざるや。
噴けば則ち大なる者は珠の如く、小なる者は霧の如く、雜じわりて下る者は勝げて數うべからずなり。
今われ吾が天機を動かすも、其の然る所以を知らず。」訳文:
「あなたは人が唾を吐く様子を見たことがないのか。勢いよく吐けば、大きな粒は真珠のようになり、小さな粒は霧のようになる。しかも無数に飛び散る。
私もまた自然の働きによって足を動かしているだけで、その仕組みまでは分からないのだ。」
『荘子』では、唾の粒を真珠にたとえることで、自然の働きの不思議さを表現しています。ここでの「珠」は宝玉としての価値を意味するものではありませんが、「唾」と「珠」を結び付けた発想は、後の「咳唾成珠」という表現を考えるうえで興味深いものです。

また、後漢の文人・趙壹は、世の不正や権力者を風刺した『刺世疾邪賦』の中で次のように述べています。
出典:『後漢書』趙壹伝所収「刺世疾邪賦」
原文:
「勢家多所宜 咳唾自成珠
被褐懷金玉 蘭蕙化為芻」書き下し文:
「勢家は宜しき所多く、咳唾も自ずから珠を成す。
褐を被て金玉を懷くも、蘭蕙は化して芻と為る。」訳文:
「権勢のある家の者は何事も思い通りになり、その咳や唾でさえ珠玉として扱われる。才能や徳を秘めた人が粗末な身なりをしていても顧みられず、高貴な蘭や蕙でさえ雑草同然に扱われてしまう。」
趙壹は、権力者の発言であれば内容の善し悪しにかかわらず重んじられ、まるで咳や唾までもが珠玉の価値を持つかのように扱われる世相を風刺しました。
このように『荘子』には「唾を珠にたとえる発想」が見られ、趙壹はそれを踏まえるような形で「咳唾自成珠」という表現を用いています。
その後、「咳唾成珠」は権勢の盛んなさまを表す語としてだけでなく、優れた人物の言葉や文章が珠玉の価値を持つことを称賛する語としても用いられるようになりました。そのため現在では、「権勢の盛んなさま」と「詩文の才が豊かなさま」の両方の意味で使われています。
荘子の世界を知るおすすめの故事成語
『荘子』には、常識を超えた発想や卓越した技芸、世俗的価値観への批判を描く故事が数多く収められています。咳唾成珠の背景にある荘子思想を理解するため、以下の四字熟語もあわせて読むことをおすすめします。
運斤成風(うんきんせいふう)|荘子・匠石・郢人・宋の元君が登場する名故事。鼻先の白土を傷一つ付けず削り取る神技を通じて、真の達人と理解者の関係を描く。荘子が友人亡き後に「技を示す相手がいなくなった」と嘆く場面は、人と人との精神的な結びつきを考えさせる- 以身殉利(いしんじゅんり)|荘子が世俗の利益を追い求める人々を批判した故事に由来する。命よりも利益を優先する人間の姿を描き、自由な精神を重視した荘子思想の核心を知ることができる。
甕裡醯鶏(おうりけいけい)|孔子が老子との出会いによって初めて自らの視野の狭さに気づいた故事。まるで、甕の中に生じる小さな虫のようだったと自分を卑下した- 一飲一啄(いちいんいったく)|荘子思想に通じる自然の摂理を表現する語。生き物の行動一つにも天の理が宿るという考え方を学べる故事として知られる
飲河満腹(いんがまんぷく)|堯と許由の逸話にちなみ、大河の水を前にしても必要な分しか飲まないという教訓を説く。無欲自然を重んじる荘子思想を象徴する代表的な故事- 衣履弊穿(いりへいせん)|荘子と魏の恵王の対話に関連する故事。物質的な豊かさではなく精神の自由を重視する荘子の人生観が色濃く表れている
咳唾成珠の類義語・対義語
類義語
優れた言論や文才を表す四字熟語
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 出口成章(しゅっこうせいしょう) | 口を開けば優れた文章になること |
| 倚馬七紙(いばしちし) | 文章作成が極めて速いこと |
| 下筆成章(かひつせいしょう) | 筆を執ればすぐ名文が書けること |
対義語
拙い言論や文章を表す語
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 支離滅裂(しりめつれつ) | 内容に統一性がないこと |
咳唾成珠を英語で表現すると
| 英語表現 | 意味 |
|---|---|
| Every word is a pearl | 言葉の一つひとつが珠玉であること |
| Words of great wisdom | 深い知恵に満ちた言葉 |
咳唾成珠が教える言葉の価値
咳唾成珠(がいだせいしゅ)は、権勢の盛んなさま、または詩文の才能が豊かなさまを表す四字熟語です。
『荘子』秋水篇には、唾の粒を真珠にたとえる発想が見られ、後漢の趙壹は『刺世疾邪賦』で「咳唾自成珠」と述べて、権力者の言葉が過度に尊重される世相を風刺しました。
その後、この語は優れた人物の言葉や文章を称賛する意味でも用いられるようになり、現在では主に学識や文才に優れた人を評価する表現として知られています。
何気ない一言であっても人々の心を動かす――咳唾成珠は、言葉が持つ力と価値の大きさを伝える故事成語といえるでしょう。
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