
会稽之恥(かいけいのはじ)とは、忘れることのできない大きな屈辱や敗北のことを意味する四字熟語です。出典は司馬遷『史記』越王勾践世家で、春秋時代末期の越王勾践(こうせん)と呉王夫差(ふさ)の争いに由来します。
勾践は会稽山で呉軍に包囲され、ついには夫差に降伏しました。さらに呉の臣下として仕えることを余儀なくされ、その命さえ伍子胥から「今のうちに滅ぼすべきだ」と主張されるほど危うい立場に置かれます。
しかし勾践はその屈辱を忘れず、自らを戒め続けた結果、ついには呉を滅ぼして雪辱を果たしました。「臥薪嘗胆」の故事とも深く結びつく歴史上屈指の復讐譚として知られています。
会稽之恥とは?忘れられない屈辱を意味する言葉
会稽之恥(かいけいのはじ)とは、非常に大きな屈辱や敗北の記憶を意味する四字熟語です。もともとは越王勾践が会稽山で呉王夫差に敗れ、降伏した際の恥辱を指しました。そこから転じて、
・絶対に忘れられない屈辱
・雪辱を誓う敗北体験
・屈辱を糧として奮起するきっかけ
という意味で用いられます。
会稽之恥の使い方|雪辱を誓う場面での例文
過去の失敗や敗北を忘れず、それを糧に努力し続ける場面で使用されます。特に競争や勝負事、事業上の挫折などに対して使われることが多い言葉です。
- 前年の敗戦を会稽之恥として胸に刻み、選手たちは厳しい練習に励んだ。
- 彼は倒産寸前まで追い込まれた会稽之恥を忘れず、会社を再建した。
- 受験の失敗を会稽之恥として努力を重ね、翌年に合格を果たした。
- この敗北は我々にとっての会稽之恥であり、必ず雪辱を果たさねばならない。
会稽之恥の由来|越王勾践と呉王夫差の壮絶な復讐劇

出典は『史記』巻四十一「越王勾践世家」です。
春秋時代末期、越王勾践(こうせん)は呉王夫差(ふさ)との戦いに敗れ、わずかな兵とともに会稽山へ追い詰められました。勾践は助命を願い出て降伏し、自らは臣となり、妻は妾となって仕えることを申し出ます。
その結果、勾践は呉へ連行され、一国の王でありながら夫差の支配下で人質同然の生活を送ることになりました。後世の史書や伝承では、夫差に徹底して仕える屈辱的な境遇に置かれたことが語られており、この経験こそが後に「会稽之恥」と呼ばれることになります。
しかし、このとき呉の重臣であった伍子胥(ごししょ)は、勾践の危険性を見抜いていました。『史記』には、伍子胥が夫差に対し、
「今ここで越を滅ぼさなければ、後に必ず後悔することになります。勾践は賢明な君主であり、文種(ぶんしょう)や范蠡(はんれい)も優れた臣です。もし帰国させれば、将来必ず呉の脅威となるでしょう」
と強く諫めたことが記されています。
しかし夫差は伍子胥の進言を退け、勾践を助命しました。この判断が、後に呉の命運を左右することになります。
後世の『呉越春秋』などには、勾践が夫差のもとで徹底して従順な態度を示し、病に倒れた夫差の糞をなめて病状を見極めたという「嘗糞(しょうふん)」の逸話も伝えられています。こうした伝承は、当時の人々が勾践の忍耐をどれほど極端なものと考えていたかを物語っています。
やがて赦免されて越へ帰国した勾践は、この屈辱を決して忘れませんでした。彼は日々苦胆をなめ、自らに「会稽の恥を忘れたのか」と問い続けます。この姿勢が後に「嘗胆」、さらに「臥薪嘗胆」の故事へとつながりました。

原文:
呉既赦越 越王句踐反國
乃苦身焦思 置膽於坐 坐臥即仰膽
飲食亦嘗膽也
曰「女忘會稽之恥邪」書き下し文:
呉、既に越を赦し、越王句踐国に反る。
乃ち身を苦しめ思いを焦がし、胆を坐に置き、坐臥するごとに即ち胆を仰ぎ、
飲食にも亦た胆を嘗めたり。
曰く、「女、会稽の恥を忘れたるか」と。訳文:
呉が越を許した後、越王勾践は国へ帰った。
そして自らを厳しく戒め、苦悩し続けた。苦い胆を身近に置き、座る時も寝る時もそれを見上げ、食事の際にも胆をなめた。そして「お前は会稽で受けた屈辱を忘れたのか」と、自らに言い聞かせた。
勾践はその後、范蠡や文種を重用して国力の回復に努めます。一方の夫差は勝利に慢心し、忠臣伍子胥を遠ざけたことで次第に国力を失っていきました。そして前473年、勾践はついに呉を滅ぼし、会稽で受けた屈辱を雪ぎます。
『史記』にはさらに、范蠡について「苦身戮力、与勾践深謀二十余年、竟滅呉報会稽之恥」と記されており、范蠡らとともに二十年以上にわたって苦難に耐え抜いた末に、会稽之恥を晴らしたことが示されています。
会稽之恥とは単なる敗北ではありません。一国の王であった勾践が、敵国の臣下として生き延び、屈辱に耐えながら復讐の機会を待ち続けた出来事そのものを指しています。だからこそ後世の人々は、忘れられない屈辱や雪辱への決意を「会稽之恥」と呼ぶようになったのです。
会稽之恥とあわせて読みたい中国故事
延陵季子(えんりょうきし)|呉の名君子として称えられた季札の故事。後の夫差の時代に至るまで続く呉国の歴史を知るうえで欠かせない人物であり、呉越抗争の背景理解にもつながる- 猗頓之富(いとんのとみ)|越王勾践を支えた名臣范蠡は、呉滅亡後に越を去り陶朱公として巨万の富を築いた。戦乱を生き抜いた知略家の人生は、会稽之恥から始まる越国再興の物語とも深く結び付いている
雲雨巫山(うんうふざん)|楚の懐王が夢の中で巫山の神女と契りを結び、神女が「朝には雲、夕には雨となって参りましょう」と告げた故事に由来し、男女の情愛を示す言葉- 遠交近攻(えんこうきんこう)|范雎が秦の昭王に説いた外交戦略。周辺国を攻略するため遠国と結ぶという発想は、勾践が長期的視野で呉への復讐を進めた姿とも重なる。戦略家たちの知恵が見える故事
- 一士諤諤(いっしがくがく)|秦で変法を進めた商鞅に対し、趙良が迎合せず率直に諫言した逸話に基づき、多数の追従より一人の正論の重みを示す語
縁木求魚(えんぼくきゅうぎょ)|孟子が斉の宣王に説いた有名な故事。誤った方法では目的を達成できないことを示した言葉であり、道義を重んじる孟子の思想が色濃く表れている- 怨女曠夫(えんじょこうふ)|孟子が斉の宣王に対し、民衆の苦しみに目を向けることの大切さを説いた故事。結婚できずに嘆く女性と妻を持てない男性を例に挙げ、為政者が民心を失えば国家もまた不安定になると警告した
宴安酖毒(えんあんちんどく)|管仲が主君桓公に進言した言葉。安楽にふけることは猛毒を飲むのと同じであり、やがて身を滅ぼす原因になるという戒め
会稽之恥の類義語・対義語
類義語
大きな屈辱や敗北を忘れず、後日の雪辱を誓う意味を持つ言葉
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 臥薪嘗胆(がしんしょうたん) | 苦労に耐え目的達成を目指すこと |
| 忍辱負重(にんじょくふじゅう) | 屈辱に耐えて大任を果たすこと |
| 捲土重来(けんどちょうらい) | 失敗から再起を図ること |
| 雪辱(せつじょく) | 受けた恥辱をすすぐこと |
対義語
過去の失敗を忘れて安逸に流れることを表す言葉
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 安逸無為(あんいつむい) | 楽をして何もしないこと |
| 太平無事(たいへいぶじ) | 平穏で緊張感のない状態 |
会稽之恥を英語で表記すると
| 英語表現 | 意味 |
|---|---|
| A humiliation never forgotten | 決して忘れられない屈辱 |
| A disgrace to be avenged | 雪辱を誓うべき恥辱 |
| Never forgetting a bitter defeat | 苦い敗北を忘れないこと |
会稽之恥が教える「屈辱を力に変える執念」
会稽之恥は、越王勾践が会稽山で呉王夫差に敗れ、降伏を余儀なくされた屈辱に由来する言葉です。出典は『史記』越王勾践世家であり、後に勾践が臥薪嘗胆の努力を続け、ついには呉を滅ぼして雪辱を果たした故事によって広く知られるようになりました。
この言葉が伝えているのは、単なる敗北や失敗ではありません。忘れがたい屈辱を胸に刻み、それを成長や成功への原動力に変える強い意志そのものを意味しています。
現代でも、挫折や失敗を乗り越えようとする場面で用いられることがあり、勾践の執念と忍耐は今なお多くの人に勇気を与え続けています。
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