枉尺直尋(おうせきちょくじん)は、中国戦国時代の思想家・孟子と弟子の陳代(ちんだい)との対話に由来する四字熟語です。 出典は『孟子』滕文公(とうぶんこう)章句下。
陳代は孟子に対し、「少し自分の信念を曲げても、大きな理想を実現できるなら諸侯に会うべきだ」と進言しました。 その際に用いた言葉が「枉尺而直尋」です。 しかし孟子は、この考え方を厳しく退けました。
現在では「小さな損失で大きな利益を得ること」の意味で使われますが、原典ではむしろその発想への批判として語られている点が特徴です。
枉尺直尋の意味とは?現代語でわかりやすく解説
枉尺直尋(おうせきちょくじん)とは、一尺を曲げて一尋をまっすぐにするという意味から転じて、「小さな損失や譲歩によって、大きな利益を得ること」を表す四字熟語です。
「枉」は曲げること、「直」はまっすぐにすること、「尺」と「尋」は古代中国の長さの単位です。
現在では合理的な判断や損得勘定を表す際に用いられることがありますが、 孟子はこの考え方を道義に反するものとして否定しました。 そのため語源を理解する際には、「利益のために信念を曲げるべきではない」という本来の教訓もあわせて知っておく必要があります。
・尺は、親指と人差し指を広げた時の長さ。
・尋(ひろ)は、両手を左右に伸ばした長さ。「千尋(ちひろ)の谷」などは聞き覚えがあるのではないでしょうか。
孟子が書かれた周の時代は、一尋は八尺でした。
枉尺直尋の使い方と例文
現代では「小さな犠牲を受け入れて大きな成果を得る」という意味で用いられることが一般的です。 ただし、本来の故事では孟子がこの考え方を批判しているため、使用する際には文脈に注意が必要です。
- 企業は枉尺直尋の発想で、短期的な損失を受け入れて将来の成長を目指した。
- 彼は枉尺直尋を信条として、大局的な利益を優先した。
- 改革には枉尺直尋の覚悟が必要だと主張する人もいる。
- 孟子は枉尺直尋の考え方そのものに疑問を呈した。
孟子はなぜ枉尺直尋を否定したのか?語源と由来を詳しく解説

出典は『孟子』滕文公(とうぶんこう)章句下です。 戦国時代、多くの思想家たちは諸侯に仕え、自らの政治思想を実現しようとしていました。 しかし孟子は、正式な礼を尽くして招かれない限り自ら諸侯のもとへ出向こうとはしませんでした。
そこで弟子の陳代(ちんだい)は孟子に対し、「少し礼を曲げても天下を治める理想を実現できるならよいではないでしょうか」と説得します。 その根拠として挙げたのが「枉尺而直尋」という言葉でした。
つまり、 「一尺だけ曲げれば一尋(八尺)をまっすぐにできる(少し信念を曲げれば大きな理想を実現できる)」 という理屈です。
しかし孟子は、利益だけを基準に物事を判断してはならないと考えました。もし利益を理由に正しい道を曲げてもよいなら、さらに大きな利益のためにもっと大きな道義を犠牲にすることも正当化されてしまうからです。
原文:
陳代曰「不見諸侯 宜若小然 今一見之 大則以王 小則以霸
且志曰『枉尺而直尋 宜若可為也』」
孟子曰「且夫枉尺而直尋者 以利言也 如以利 則枉尋直尺而利 亦可為與」
……
枉己者 未有能直人者也書き下し文:
陳代曰く「諸侯に見えざるは、宜しく小然たるが若し。 今一たび之に見えなば、大なれば則ち以て王たり、小なれば則ち以て覇たり。
且つ志に曰く、『尺を枉げて尋を直くす』と。宜しく為すべきが若し。」
孟子曰く「それ尺を枉げて尋を直くすとは、利を以て言うなり。 もし利を以てせば、尋を枉げ則ち尺を直くして利あらば、亦た為すべけんや。」
……
己を枉ぐる者にして、未だ能く人を直くする者はあらざるなり。訳文:
陳代は言った。「諸侯に会わないのは小さなことにこだわり過ぎではありませんか。 もし会えば、大きくは王道政治を実現でき、小さくとも覇者を助けることができます。 『一尺を曲げて一尋を伸ばす』という言葉もあります。 少し譲歩してもよいのではないでしょうか。」孟子は答えた。 「その言葉は利益だけを基準にした考え方だ。 利益を優先するなら、逆に一尋を曲げて一尺を伸ばしても利益があればよいことになるではないか。」
……
そして孟子は最後に、 「自分自身を曲げる者が、他人を正しく導けたためしはない」 と結論づけた。
この故事から生まれた枉尺直尋は、後世では「大きな利益を得るために、小さ犠牲を払うこと」の意味で定着しました。 しかし原典における本当の教訓は、「目的のために道義を曲げてはならない」という孟子の思想にあります。
枉尺直尋の関連四字熟語|孟子の思想をさらに知る
怨女曠夫(えんじょこうふ)|孟子が斉の宣王に説いた仁政思想を示す故事。結婚できない男女を例に挙げ、民衆の苦しみを理解する政治の重要性を説いた。為政者が民意に耳を傾けるべき理由が語られている- 一遊一予(いちゆういちよ)|孟子が斉の宣王に語った景公と晏嬰の故事に由来。君主が楽しみを独占するのではなく、民とともに喜びを分かち合うべきであると説く
一暴十寒(いちばくじっかん)|孟子が学問や善政の継続の重要性を説く際に用いた故事。一日温めても十日寒ければ成果は失われるという意味で、努力の継続こそが成果を生むことを教えている- 安宅正路(あんたくせいろ)|孟子が人の歩むべき正しい道を説いた言葉。人間が本来備える善性を失わず、正道を進むべきことを説く
一毛不抜(いちもうふばつ)|楊朱の思想を説明する際に孟子が取り上げた言葉。天下のためでも自分の毛一本抜かないという極端な個人主義を表し、兼愛を説く墨子との対比を通して孟子の中庸思想を理解できる
枉尺直尋の類義語・対義語
類義語
小を捨てて大を取るという発想に通じる語句
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 捨短取長(しゃたんしゅちょう) | 短所を捨て長所を取る |
| 小異を捨てて大同につく | 細部を譲って大局を取る |
対義語
枉尺直尋とは反対に、小さな利益にこだわって大きな利益を失うことや、利益よりも道義を重んじる考え方を表す語句
| 語句(かな) | 意味 |
|---|---|
| 大義名分(たいぎめいぶん) | 人として守るべき正しい道理 |
| 安宅正路(あんたくせいろ) | 人が進むべき正しい道を守ること |
| 因小失大(いんしょうしつだい) | 目先の小さな利益を得ようとして、大きな損失を出すこと |
| 貪小失大(たんしょうしつだい) | 〃 |
枉尺直尋を英語で表記すると
| 英語表現 | 意味 |
|---|---|
| Make a small sacrifice for a greater gain | 小さな犠牲で大きな利益を得る |
| Small loss for big gain | 小損して大利を得る |
枉尺直尋が伝える「利益より道義を守れ」という孟子の教え
枉尺直尋は、現在では「小さな損失や譲歩によって大きな利益を得ること」を意味する四字熟語として使われています。現実社会でも、目先の不利益を受け入れて将来の大きな成果を目指す場面は少なくありません。
しかし、その語源となった『孟子』の故事では、弟子の陳代が唱えた「少し信念を曲げても大きな理想を実現できるならよい」という考え方を、孟子は明確に退けています。孟子が問題視したのは利益そのものではなく、利益のために正しい道を曲げる姿勢でした。
孟子は「己を枉ぐる者にして、未だ能く人を直くする者はあらざるなり」と述べ、自分自身の信念や道義を犠牲にしてしまえば、他人を正しく導くことはできないと説いています。どれほど立派な目的であっても、その実現のために正道を踏み外してはならないというのが、孟子の一貫した考え方でした。
枉尺直尋は単なる損得勘定を表す言葉ではありません。むしろその背景を知ることで、「目的のためなら手段を選ばなくてよいのか」という普遍的な問いを私たちに投げかける故事成語として理解することができます。
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