
円鑿方枘(えんさくほうぜい)とは、互いに合わないものや、考え方・立場が周囲と調和しないことを意味する四字熟語です。出典は『史記』巻七十四「孟子荀卿列伝」で、司馬遷が孟子や騶衍(すうえん)らの生き方を評した一節に由来します。
戦国時代は富国強兵や権謀術数が重視された時代でしたが、孟子は仁義を説き、騶衍は独自の壮大な思想を展開しました。
その学説は当時の諸侯が求める現実的な政策とは必ずしも一致せず、司馬遷はその状況を、丸い穴に四角いほぞを差し込もうとすることにたとえました。
円鑿方枘の意味|周囲と噛み合わないことのたとえ
円鑿方枘(えんさくほうぜい)とは、丸い穴(円鑿)に四角いほぞ(方枘)を差し込もうとすることから、性格や思想、立場などが周囲と合わないことを意味します。
また、自分の信念や理想が時代や環境と一致せず、受け入れられない状況を表す場合にも用いられます。同義の語として「方枘円鑿(ほうぜいえんさく)」があります。
円鑿方枘の使い方と例文
周囲の価値観や組織の方針と自分の考えが大きく異なる場面で用いられます。また、才能や能力があっても環境に適応できない状況を表現する際にも使われます。
- 彼の理想主義は利益を最優先する会社では円鑿方枘だった。
- 改革案は斬新だったが、当時の制度とは円鑿方枘で実現できなかった。
- 孟子の仁政思想は戦国時代の風潮と円鑿方枘であった。
- 自分の価値観が組織文化と円鑿方枘であることに気付いた。
円鑿方枘の由来|理想を貫く思想家と現実を求める君主のすれ違い

出典は『史記』巻七十四「孟子荀卿列伝」です。「円鑿方枘」は、司馬遷が列伝の最後に記した総評に由来します。
司馬遷はまず、戦国時代の思想家である騶衍(すうえん)が諸侯から厚く礼遇されたことを紹介しています。騶衍は斉・梁・趙・燕など各国で重んじられ、とりわけ燕の昭王は師の礼をもって遇したと記されています。
しかし司馬遷は、その騶衍の境遇を孔子や孟子と対比します。孔子は陳・蔡の地で困窮し、孟子も斉や梁で十分に用いられませんでした。
当時の諸侯が求めていたのは、富国強兵や外交戦略など国家を存続・発展させるための現実的な政策でした。一方、孔子や孟子は仁義や王道政治を説き、目先の利益や軍事的成功よりも道徳と理想を重視しました。
そのため、君主が求める答えと思想家が示す理想はしばしば噛み合いませんでした。司馬遷は、その象徴的な例として伯夷(はくい)・孔子・孟子を挙げています。
原文:
故武王以仁義伐紂而王 伯夷餓不食周粟
衛靈公問陳 而孔子不答
梁惠王謀欲攻趙 孟軻稱太王去邠
此豈有意阿世俗苟合而已哉
持方枘欲內圜鑿 其能入乎書き下し文:
故に武王は仁義を以て紂を伐ちて王たりしも、伯夷は餓えて周の粟を食らはず。
衛靈公、陳を問ふも、孔子答へず。
梁惠王、趙を攻めんことを謀るも、孟軻は太王の邠を去りしを称す。
此れ豈に意して世俗に阿り、苟に合ふに意有りて已ならんや
方枘を持して圜鑿に内れんと欲す。其の能く入らんや。訳文:
武王は仁義によって紂王を討って天下を治めたが、伯夷はその行いに賛同せず、周の穀物を食べなかった。
衛の霊公が軍事について尋ねても孔子は答えず、梁の恵王が趙への侵攻を考えたときも、孟子は戦略ではなく太王が民のために邠を去った故事を語った。
彼らは世俗に迎合して無理に合わせようとしたのではない。
四角いほぞを持って丸い穴にはめ込もうとしても、入るはずがないのである。

「枘(ぜい)」とは木材を接合するための突起部分、「鑿(さく)」とはその枘を差し込む穴を意味します。四角い枘を丸い穴に入れることができないことから、「方枘円鑿」や「円鑿方枘」は、考え方や立場、性質などが互いに適合しないことのたとえとなりました。
司馬遷は、伯夷・孔子・孟子らが世俗や権力者に迎合せず、自らの信念を貫いたことを評価しています。そして、その理想が当時の政治の現実とは必ずしも一致しなかった状況を、「方枘を持して圜鑿に内れんと欲す」と表現したのです。
もっとも司馬遷は、理想を貫く生き方だけを称賛しているわけではありません。この直後に、伊尹(いいん)と百里奚(ひゃくりけい)の例を挙げています。
伊尹は湯王を補佐して王業を成し遂げ、百里奚は秦の繆公に用いられて覇業を支えました。彼らは理想を捨てた人物ではなく、まず君主に受け入れられ、その後に正しい道へ導いた人物として描かれています。
さらに司馬遷は、騶衍について「其言雖不軌(その言は軌にあらずといえども)」とも述べています。ここでいう「不軌」とは、当時の一般的な学説や常識の枠を超えているという意味です。司馬遷は、騶衍もまた伊尹や百里奚のように、独特な学説によって君主に近づき、やがて天下を導こうとしたのではないかと考察しています。
このように『史記』の「円鑿方枘」は、単に「物事が合わない」という意味だけではありません。理想を率直に説く思想家と、現実的な利益を求める支配者との隔たり、そして理想を実現するためにどのような方法を選ぶべきかという、司馬遷の深い問いかけが込められているのです。
孔子・孟子の思想を知るとさらに理解が深まる関連故事
春秋・戦国期には、中国古代思想や戦国期の政治背景を映し出す故事が数多く存在します。ここでは、孔子・孟子の人物や思想に関係する語句を紹介します。
一暴十寒(いちばくじっかん)|孟子が説いた教育と努力の継続の重要性を表す故事。一日温めて十日冷やせば植物が育たないように、人の成長も継続なくして成り立たないという教訓- 一毛不抜(いちもうふばつ)|孟子、楊朱、墨子の思想対立を背景に、たとえ毛一本を抜くだけで天下の利益になるとしても、それすらしようとしないという極端な利己心を表した語
一遊一予(いちゆういちよ)|孟子が斉の宣王に対し、景公と晏子の問答をから、為政者は民と喜びや苦しみを共有すべきだと説いた政治思想に由来する語- 一朝之患(いっちょうのうれい)|孟子は、君子は日頃から本質を見据え備えることで、一朝一夕の患いに動じないと説いた
一治一乱(いっちいちらん)|孟子と弟子の公都子の対話に由来する言葉。政治が善ければ世は治まり、悪ければ乱れるという歴史の法則を論じる- 安宅正路(あんたくせいろ)|孟子が人の本来進むべき正しい道を説いた故事です。人間の善なる本性と道徳の重要性を象徴
韋編三絶(いへんさんぜつ)|孔子が晩年まで学問を追究し続けた姿勢を象徴する言葉。孔子が『易経』を繰り返し読み込んだ結果、竹簡を綴じる革紐が何度も切れてしまったという逸話に由来- 按兵不動(あんぺいふどう)|趙簡子や孔子にまつわる故事。軽率な迎合や行動を戒める慎重な判断の重要性を伝える
遺簪墜屨(いしんついく)|孔子が簪を失って悲しむ婦人に出会った話と、楚の昭王が落とした靴を惜しんだ故事に由来し、使い慣れた物への愛着を表す言葉- 一日之長(いちじつのちょう)|わずかな優位を意味する言葉。『論語』先進篇、孔子が弟子に志を問う場面に由来
類義語・対義語
類義語
互いに適合しないことや、周囲との不一致を表す言葉です。
| 語句(ごく) | 意味 |
|---|---|
| 方枘円鑿(ほうぜいえんさく) | 方枘円鑿と同意 |
| 円孔方木(えんこうほうぼく) | 〃 |
| 円孔方木(えんこうほうぼく) | 〃 |
| 氷炭相容れず(ひょうたんあいいれず) | 性質が正反対で両立しないこと |
対義語
物事が調和し、うまく適合することを表す言葉です
| 語句(ごく) | 意味 |
|---|---|
| 意気投合(いきとうごう) | 気持ちや考えが一致すること |
| 渾然一体(こんぜんいったい) | 完全に調和して一つになること |
英語表記
考え方や性質が合わないことを表す英語表現です
| 英語表現 | 意味 |
|---|---|
| A square peg in a round hole | 丸い穴に四角い杭 |
| Incompatible | 両立しない |
| Out of place | 場違いである |
円鑿方枘に学ぶ|理想と現実が噛み合わないとき
円鑿方枘は、丸い穴に四角いほぞを入れようとしても適合しないことから、考え方や立場が周囲と合わないことを意味する四字熟語です。
出典である『史記』孟子荀卿列伝では、孟子や騶衍の学説が当時の諸侯の求める現実政治とは一致しにくかった状況を「方枘を持して円鑿に内れんと欲す」と表現しています。
現代では単なる不一致の意味で使われることが多い言葉ですが、その背景には、時代の流れに流されず自らの信念を守り続けた思想家たちの姿があります。円鑿方枘は、周囲に合わせることだけが正しいわけではないという教訓も伝えている故事成語なのです。
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