
「成功する人は寝ていない」と言われるほど、現代でも努力や継続が称賛されますが、「昼夜兼行」という四字熟語は、古代中国・三国志の世界でも使われた言葉です。
今回は、呉の武将・呂蒙が関羽を奇襲した故事に由来するこの語について、正しい意味と背景を詳しく紐解きます。
昼夜兼行の意味
昼夜兼行(ちゅうやけんこう)とは、「昼も夜も休まず物事を行うこと」、特に「急ぎの任務や行動を休みなく続けること」を意味します。
もとは軍事用語であり、軍を昼夜にわたって進める電撃的な行動を指します。現代では、休まず努力を続ける様子を表す語としても用いられます。
昼夜兼行の使い方と例文
この語は、急ぎの対応や物事を休まず遂行する場面で用いられます。仕事や災害対応、国家レベルの大事業などに対し、精力的に取り組む姿勢を強調する表現です。
- 被災地に支援物資を届けるため、自衛隊は昼夜兼行で輸送を行った。
- 昼夜兼行の作業によって、交通網の復旧は予想よりも早く実現した。
- 昼夜兼行で開発を進めた結果、新薬が前倒しで完成した。
昼夜兼行の語源・由来|三国志・呉書・呂蒙伝より
この四字熟語は、『三国志』呉書・呂蒙伝に記された、呂蒙の関羽奇襲のエピソードに由来します。呂蒙は病を理由に軍職を退いたふりをして陸遜に任を譲り、関羽に警戒心を抱かせぬよう策略をめぐらせました。
その裏で孫権と密かに連携し、呂蒙は江陵奇襲の準備を進めます。そして公安から江陵までを「昼夜兼行」、つまり昼も夜も休まず軍を進め、油断していた関羽の守備を破り、江陵を奪取したのです。
原文:
蒙即日發 自公安南上 晝夜兼行 遂襲江陵書き下し文:
蒙は即日発し、公安より南に上り、昼夜兼行して、遂に江陵を襲う。訳文:
呂蒙はその日のうちに出発し、公安から江陵まで昼夜兼行し、ついに江陵を急襲した。
この電撃戦によって関羽は背後を突かれ、荊州を失い、やがて麦城に敗走。これが「昼夜兼行」という語句が語られるようになった歴史的背景です。
関羽と呂蒙に関連する故事成語
このブログでは、呂蒙と関羽という主要人物に関連した、その他の四字熟語についても紹介します。彼らの生涯や逸話に基づく語句からは、それぞれの人物像や時代背景をより深く理解できます。
- 孤軍奮闘|関羽が荊州に孤立し、援軍のない中で自軍だけで曹操軍や呉軍と戦い抜いた姿を象徴
- 桃園結義|関羽・劉備・張飛の三人が桃園で義兄弟の契りを交わし、生死を共にすることを誓った故事に由来
言笑自若|関羽が矢で腕を射られた際、名医・華佗が毒を除くため骨を削っても、彼は平然と囲碁を続け、笑みすら絶やさなかった逸話に由来- 読書百遍|呂蒙が文武両道を目指し、百遍の読書を重ねて知識を深めたことに由来。学ぶ姿勢の重要さを示す語
呉下阿蒙|かつて無学であった呂蒙が学問に励み、知略に優れた将として成長したことを称える言葉- 括目相待|魯粛が呂蒙の変貌に驚き、呂蒙自身が「今後は目を見張って接してほしい」と述べた言葉に由来。自らの進化を誇る姿勢を示す
昼夜兼行の類義語・対義語
類義語
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 不眠不休(ふみんふきゅう) | 眠らず休まず、何かに打ち込むこと |
| 倍日幷行(ばいじつへいこう) | 通常の倍の速さで物事を進めること |
対義語
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 悠悠自適(ゆうゆうじてき) | 心ゆくまま、のんびりと生活すること |
| 無為徒食(むいとしょく) | なすこともなくぶらぶら暮らすこと |
昼夜兼行の英語表現と意味
| 英語表現 | 意味 |
|---|---|
| marching day and night | 昼も夜も進軍する |
| work tirelessly | 疲れを見せずに働く |
奇襲と電撃戦に宿る呂蒙の戦略眼|昼夜兼行に学ぶ現代的意義
「昼夜兼行」は、単なる努力や根性論ではなく、時機を逃さず全力で動く戦略的行動を示しています。呂蒙の行軍は、敵を欺き、緻密な計略と迅速な実行力によって成功を収めました。
現代社会においても、重要な局面では「昼夜兼行」のように機を逃さず行動することが求められます。そのための準備と計画力もまた、呂蒙の行動から学ぶべき重要な要素なのです。
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