
藍田生玉の意味
藍田生玉の使い方と例文
「藍田生玉」は、主に文学的・賞賛的な場面で用いられます。特に、家柄と才能の両方を兼ね備えた人物に対して用いられる、非常にポジティブな表現です。
- 彼の知性と気品は、まさに藍田生玉というべきだ。
- 藍田生玉の誉れ高い家系から、また一人傑出した人材が現れた。
- 藍田生玉──彼女の才能は、両親から受け継いだものだけではないだろう。
三国志の皇帝も驚いた才──藍田生玉の語源と由来
「藍田生玉」は、三国時代・呉の皇帝・孫権が、少年の諸葛恪(しょかつかく)の才知に感嘆して発した言葉に由来します。
「藍田(らんでん)」とは、中国陝西省にある地名で、古くから美しい宝玉(玉石)の産地として知られていました。そこから転じて、「藍田には玉が生まれる(=名門には逸材が育つ)」という表現が生まれました。
『三国志・呉書・諸葛恪伝』の<裴松之注>に引かれた『江表伝』では、以下のようなやりとりが記されています。
原文:
瑾為東部都尉 使恪奉使詣呉
時年十餘歲
孫權見而異之 問瑾曰:「何以教子」
瑾辭以無功德
權曰:「藍田生玉 信不虛也」書き下し文:
瑾、東部都尉と為り、恪をして使を奉じて呉に詣らしむ。
時に年十余歳なり。
孫権、之を見て異とし、瑾に問いて曰はく、「何を以て子を教うるか。」
瑾、功徳無しと辞す。
孫権曰はく、「藍田玉を生ず、信に虚しからず。」訳文:
諸葛瑾が東部都尉であった頃、息子の諸葛恪を使者として呉に派遣しました。
当時、諸葛恪は十歳あまりの少年でしたが、その利発さと才知を見た孫権は驚き、父の諸葛瑾に尋ねました。
「どうしてこのような優秀な子に育ったのか?」
諸葛瑾が「特別なことは何もしておりません」と謙遜すると、孫権は深く感じ入り、こう言ったのです。
「藍田に玉が生まれるというのは、本当に嘘ではなかったな。」
この言葉から、「藍田生玉」は名門から逸材が生まれるたとえとして広く知られるようになりました。
藍田生玉に関連する四字熟語【あわせて読みたい】
「藍田生玉」は、三国時代の名門・諸葛一族に関わる故事から生まれた四字熟語です。ここでは、諸葛恪の父・諸葛瑾の兄・諸葛亮(孔明)に関連する四字熟語を紹介します。諸葛亮の人物像や人間関係に興味がある方におすすめです。
水魚之交:劉備と諸葛亮の切っても切れない絆を描いた故事- 三顧之礼:劉備が三度諸葛亮を訪ね、礼を尽くして迎え入れたエピソード
- 臥竜鳳雛:諸葛亮を「臥竜(がりょう)」と称し、その卓越した才能を象徴する表現
七縦七擒:諸葛亮が南蛮王・孟獲を七たび捕らえ、七たび放った戦略物語- 泣斬馬謖:諸葛亮が規律を守るため、愛する部下・馬謖を処刑した苦渋の決断
- 危急存亡:諸葛亮が国家や組織の命運を左右する重大な局面を指して使った言葉
性行淑均:諸葛亮が説いた、徳を備え心と行動が調和する人間像を表す言葉- 群疑満腹:諸葛亮が、信義をもって人を懐柔しなければ疑念が蔓延し、事が成し難くなると訴えた言葉
- 鞠躬尽瘁:諸葛亮が、死ぬその時まで国家のために全力を尽くす決意を示した言葉
藍田生玉の類義語・対義語
類義語
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 門閥名家(もんばつめいか) | 由緒正しい家柄や名門の一族 |
| 華胄之子(かちゅうのし) | 高貴な家系に生まれた子孫 |
対義語
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 無名の士(むめいのし) | 世に知られていない人物 |
| 白丁(はくてい) | 一般庶民。特に官職に就かない者 |
藍田生玉の英語表記
| 英語表記 | 意味 |
|---|---|
| A jade born in Lantian | 藍田で生まれた宝玉(=名門から生まれた逸材) |
まとめ|藍田生玉の意味・由来・使い方を振り返る
「藍田生玉」は、名門からすぐれた人物が生まれることをたとえた美しい四字熟語です。その語源は、三国時代の呉の国、諸葛恪にまつわる逸話に由来します。
現代でも、良い家系に育ち、才能を開花させた人物への賛辞として使われることがあります。
「藍田生玉」の意味や使い方、由来を正しく理解し、場面に応じた表現に活かしてみましょう。
呉の武将に関連する四字熟語
このブログでは、呉の名将・諸葛恪を紹介してきました。ここでは、呉の武将や呉にまつわる四字熟語をまとめています。
開門揖盗|張昭が孫権に忠告した故事にちなみ、油断の危険を戒めた語- 攀竜附驥|張昭が賢君孫権に仕える姿から、優れた人物に従うことの意義を説いた語
- 苦肉之計|周瑜と黄蓋が仕掛けた奇策。自らを犠牲にして敵を欺いた戦略です
百挙百捷|呉の知将・周魴が敵将を謀略で翻弄し、百戦百勝の活躍を見せた故事- 読書百遍|呂蒙が孫権の勧めで学問に励み、武勇だけでなく知略を身につけた逸話です
- 呉下阿蒙|呂蒙が大きく成長し、魯粛に「もはや呉下の阿蒙ではない」と称賛された故事に由来します。
- 昼夜兼行|呂蒙が昼夜を問わず軍を進め、迅速な戦術で成果を挙げた行軍の語
- 括目相待:呂蒙の成長に驚いた魯粛に対して、呂蒙が「士は三日も会わなければ、目をこらして見直すべきだ」と語った故事に基づく四字熟語です
三者鼎立|呉の重臣・陸凱が過去の三国均衡を理想とし、戦略的に提言した故事成語- 落筆点蠅|呉の宮廷画家・曹不興が機転を利かせて筆の汚れを絵に変えた逸話
- 車載斗量:諸葛亮が呉の皇帝・孫権に対して、江東の地は「人材が豊富で、車に載せ斗で量れるほど多い」と称賛した言葉で、呉の実力を象徴しています
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