呉下阿蒙とは?意味・語源・使い方をわかりやすく解説

おもしろ四字熟語
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

かつて無学だったが、努力によって成長を遂げた──そんな人を思い起こさせるのが「呉下阿蒙(ごかのあもう)」という四字熟語です。

この言葉は、三国時代の呉の武将・呂蒙(りょもう)の逸話に由来しています。

今回は、「呉下阿蒙」の本来の意味と、現代における使い方の違いについても踏まえ、わかりやすく解説します。

スポンサーリンク

呉下阿蒙の意味

「呉下阿蒙」とは、かつて一向に進歩のなかった昔の人や、無学だった者をたとえる言葉です。「呉下」は呉の地、「阿蒙」は若き日の呂蒙を指し、学問に疎かった頃の姿を象徴しています。

ただし、現代ではこの故事の背景──呂蒙が努力を重ねて学問を修め、見違えるほど成長したという点に注目し、「以前は未熟だったが、今は立派に成長した人物」を称賛する表現として用いられることもあります。

呉下阿蒙の使い方

本来は「無学な者」を指す熟語ですが、現代では「以前は未熟だったが、今は大きく成長した」ことを称賛する文脈で使われることが多いです。

  • 彼は学生時代は目立たなかったが、今や会社を牽引する存在だ。もはや呉下阿蒙ではない。
  • かつての自分を知る友人に、「呉下阿蒙とは違うな」と言われて、胸が熱くなった。
  • 彼女のプレゼン力には驚いた。昔の印象からすれば、まさに呉下阿蒙そのものだ。

呉下阿蒙の本来の意味と現代の使い方の違いについて

「呉下阿蒙」は本来、「無学で進歩のない者」のたとえとして生まれました。

しかし、故事の内容が「呂蒙の成長」を称えるものであったため、現代では「昔は未熟だったが、今は立派に成長した」と賞賛する意味合いで使われることが増えています。

したがって、意味と使い方にズレがあることを理解した上で、場面に応じた適切な使用が求められます。

呉下阿蒙の語源と魯粛・呂蒙の故事

「呉下阿蒙」は『三国志』呉書・呂蒙伝に記された、呂蒙と魯粛(ろしゅく)の逸話に由来する四字熟語です。

若き日の呂蒙は武勇には優れていたものの、学問には無関心でした。君主の孫権(そんけん)に諭されてからは勉学に励み、やがて知略にも秀でた将軍へと成長します。
以下は、呂蒙の変貌ぶりに驚いた魯粛との有名なやりとりの一節です。

原文:
肅與蒙談論 大驚曰:
「卿今者才略 非復呉下阿蒙

書き下し文:
魯粛、呂蒙と談論し、大いに驚きて曰く、
「卿(けい)が今の才略、復た呉下の阿蒙に非ず!」

訳文:
魯粛は呂蒙と議論を交わして、その見識の深さに驚き、
「君の今の才知と策略は、もはや呉下の阿蒙(昔の未熟な呂蒙)ではない!」と称賛しました。

ここで使われた「呉下の阿蒙」とは、かつて呉の地にいた頃の無学だった呂蒙を指します。「阿蒙」の「阿」は本来、親しみを込めた呼びかけ語ですが、この文脈ではやや侮蔑のニュアンスも含まれ、若く未熟だった呂蒙を軽んじる意味が込められています。

「もはや呉下の阿蒙ではない」という魯粛の言葉は、かつての未熟さを脱し、見違えるほど成長した呂蒙の変化に対する驚きと敬意を表現した名言として、後世に語り継がれることとなりました。

呂蒙に関わるその他の四字熟語

呂蒙に関連する四字熟語として、以下の記事もあわせてご覧ください。

  • 昼夜兼行|呂蒙が昼夜を問わず軍を進め、迅速な戦術で成果を挙げた行軍の語
  • 読書百遍|呂蒙が勉学に励み、知識を深めた故事に由来する四字熟語です。
  • 括目相待|大きな成長を遂げた人物を目を見開いて待ち望む様子を表します。

呉下阿蒙の類義語・対義語

「呉下阿蒙」は本来、「無学で進歩のない者」をたとえる四字熟語です。しかし、故事内容が呂蒙の成長を称えるものであったため、現代では「以前は未熟だったが、今は立派になった」ことを称賛する意味合いでも使われています。

本稿では、あくまで本来の意味(無学で進歩のない者)に基づいて、類義語・対義語を選定しています。

類義語

四字熟語 意味
無学文盲(むがくもんもう) 学問がなく、文字も読めないこと
浅学菲才(せんがくひさい) 学問が浅く、才能が乏しいこと
無知蒙昧(むちもうまい) 知識がなく愚かなこと

対義語

熟語 意味
博覧強記(はくらんきょうき) 広く書物を読み、記憶力が優れていること
才気煥発(さいきかんぱつ) 才能や知恵が目立って優れていること

呉下阿蒙の英語表記

英語表記 意味
Formerly unlearned person かつて無学だった人
Remarkable personal growth 目覚ましい個人の成長

呉下阿蒙のまとめ

「呉下阿蒙」とは、もともとは無学で進歩のなかった者をたとえる四字熟語です。
しかし、故事の呂蒙の成長物語にちなみ、現代では「未熟だった過去を乗り越えて立派になったこと」を称賛する使い方が広まりました。

意味と使い方の間にズレがあることを理解し、場面に応じて適切に使い分けることが大切です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました